Buonasera.
札幌に復帰し1人暮らしを再開した。
1ヶ月を過ごした東京との比較が、物理・心理的に意識化されていく過程にいる。
東京は「全国大会」だという表現を目にしたことがある。
目的を持った人たちがこの場所を目指して集まり、しのぎを削る。
破壊と創造が繰り返される。
大海原という表現も概ね間違っていないかもしれない。
エネルギーのうねりの中で、波を乗りこなす人、乗り遅れまいともがく人、足元を掬われ深くへ沈んでいく人がいる。
乗りこなすにももがくにも、エネルギーが必要になる。
他者がつくり出したエネルギーの波の中に留まりもがくには、まず自らのエネルギーを賭けなければいけない。
乗りこなせば進んでいけるし、エネルギーを吸収していくこともできる。
乗りこなせなければエネルギーを摂られる一方でいずれ動けなくなり、沈んでいくという結果に終わる。
環境自体がもつ強さを後押しとできれば大きく鼓舞される。
留まればエネルギーを吸い取られ続けるという点では支配を受けているとも言える。
慣れ親しんだ場所は目的意識を必要としない。
そこにいるだけでいいという、包容力を持っている。
新しく何かをつくる必要はない。
日々は当たり前に過ぎていくし、周囲の人たちも環境になじんでいる。
大きなエネルギーの変動がなく、安定している。
そこには変更を加えようとする力を押し込めようとする逆の力すら働いている。
場所のホメオスタシス(恒常性)とも言えるものが存在する。
そのホメオスタシスをつくり出しているのは人間だ。
常に同じ状態を保とうとする生態系の中で変化を生み出すのは、簡単なことではない。
環境に鼓舞されるより、環境に支配される色合いが強い。
その支配を突破するエネルギーは1人の力だけでは生み出せない。
それでも突破したいと願うなら、生態系全体を眺められる位置に移動する姿勢が必要だろう。
環境を変えるには、1人の力はちっぽけだ。
全体を眺める経験は、そのちっぽけな1人の力を賭けることで大きな変化につながる「ある一点」を見つける眼を養うと感じている。
この大きな視点を身につけるためには一度環境を変えることが必要だと自覚できたのは、東京滞在の成果の1つなのだろう。