現代の食医 食べて飲んで生きる毎日

長野県で料理人/医者をしています。フィレンツェで料理人してました。

夢を外力で動かし始めた2023年

f:id:kamoshite_kuwa:20231223150007j:image

はじめまして。

高桑雅弘です、マサとお呼びください。Piacere.

2023年のビッグイベント、イタリア旅最終日にローマ・テルミニ空港から投稿しています。

 

長野県小諸市で医師をしながら、小諸駅前での飲食店づくりに励んでいます。

「なんで医者で、飲食店?」とよく聞いていただくので簡単に説明から失礼します。

原体験から「食事の場」に対する想いが強めで、飲食店オーナーを夢見た肥満児でした。

途中で父がしている医師という職業に憧れるとともに、飲食店オーナーという夢を忘れて、医師の仕事の中に生きる意味を見つけられると信じて、ガリガリと勉強した学生時代でした。

晴れて医学部に進学するも「食事の場」への想いは捨てきれず常に食について考えて、農家へ通うなり酒の勉強をして発信したりとドタバタ過ごした大学時代。

そのうち「飲食店オーナー」の夢を思い出して、医療との掛け合わせを試行錯誤。

休学しイタリアへ、医療者目線でも評価できる地中海食を学びに飛び出しました。フィレンツェで料理人生活を送り、コロナのパンデミックで帰国し、医学部卒業、医師としてのキャリアをご縁のあった小諸で始めています。

食事の場を通して「善く生き、善く逝く社会を実現する」にはどうすればいいか。飲食店づくりの先に見えてくると信じて、小諸でお店づくりに取り組んでいます。

 

夢、やりたいことは上記の通りで、その実現のために小さな一歩を踏み出した2024年でした。

 

今年のハイライトは

・店舗を借り(てしまっ)た

・「善く生き、善く逝く社会の実現」という信じられる標語が見つかった

・店もやるけど、医師としてのキャリアも伸ばしていくことに決めた

・約4年ぶりにイタリア到達

・会社つくる手前まで来た

 

こんな感じでしょうか。こういうときだいたい後半のことが多めになるので、上半期下半期で振り返るクセをつけていきたいものです。。。

店舗を借り(てしまっ)たことで、「ただ出ていくだけの賃貸料」という強力な外力を発生させてケツに火がつく形で走り出してみた結果、得たものが2023年だったと感じます。見切り発車、勢い発進バンザイ!!!(他人に推奨できない)

 

2023年費やしたコストに対して、満足しております。

一方で自分の船を出すために動き始めたことで、力不足を感じて悔しい思いをすることは増えました。

これからもその連続だと理解でき、物事を始めるって簡単じゃないんだなって、何を今さらですが痛感した年でもありました。

 

2024年へ。

研修医課程を卒業して、引っ越しして(変わらず小諸です)、新しい現場に入って、お店を完成させて。上半期の記憶が残る余地がすでになさそうですが、2023年に始めた勢いドリブンな道を、なんとかマネージしていきます!

2024年には勢いドリブン脱出するぞ!

 

クリスマスで浮かれるイタリアからお送りしました。

Buon natale!! Ciao!!

f:id:kamoshite_kuwa:20231223150528j:image

 

 

==============
つづき:イタリア旅振り返り

 

9日間の工程、イタリア最終日にお送りしているので、今回の「イタリアバール巡り」のまとめも綴ります。(適宜更新)

 

 

 

 

 

ぼくの母校、次の君の母校

2021年度に6期生としてお世話になったMakers University。
NPO法人ETIC.が主催する、豪華すぎるメンターと豪華すぎる応援者と豪華すぎる塾生の集まり。
2024年度9期生の募集が始まりました。
 
 
この豪華すぎる学校、どれだけ自分の力にできるかは正直、自分次第。
ここに関わろうとする時、良い思い出ばかりじゃなくて。むしろ僕にとっては6期の当時もそうだったし、今でも「悔しい」っていう感情のほうが多くなる場所。
でもそれって「今でも感情を動かしてくれる場所」ってことでもある。
========================
退屈な人生は要らない。
自分にも周囲にも飽きることのない人生を生きたい。
妥協のない道を歩みたい。
だから、僕は自分で道を拓きたい。
そして少しでも世の中を、今より善いところにしたい。
========================
こんなこと考えている僕の母校です。
この場所で感情を動かされるから「もっと!」と思えてもう一歩が出ます。
毎年ここに必ず関わると決めています。足の遅い僕すら拒まれない場所だからです。ここがあるから挑戦し続けられて、店をつくるという今があります。
おかしなやつだと思われないし、「もっと!」と思う力をくれる場所です。
感じ続けた閉塞感を「起業」や「生き方」でぶち破ってくれる可能性だらけの場所です。待っているのはカオスです。自分で決めて入って、自分で開拓してください。
これを読んで“ビビッ”ときたり“ゾクゾク”した君は、あとエントリーするだけだと思います。
お手伝いできることは少なからずあると思うので、連絡ください。
 

今の気持ちは今しか書けないらしい

Buonasera,

 

やりたいことたくさんあって、どこから手をつければいいか分からず久々にここに文章を書き始めました。

1日仕事して、美味しいカレーピラフを食べて、おなかいっぱいになって座るデスクチェアは、ものすごい催眠効果を放っているし。

書かなければならない書類は、炭水化物摂取後の膵臓ががんばってインスリンを出しすぎて眠くなる、いつものパターンで段々と意識外側へ遠ざかっていく。待って、行かないで。

 

情けない食後のグダグダも、些細な気持ちも、今しか書けないらしい。

依って立つところがなく、自分の仕事に自信も持てないで、よくわかる/よくわからないの両極端の間で「彷徨っているアピール」をしながら、依りどころを求めて今日も出口の無いところへ真っ逆さまに落ちていこうとしている。

そういう言い訳がましい感情だって、今しか書けない。30代、40代と歳を重ねれば思い出せなくなっていくから、今だけの文章なんだって、好きなアーティストが言っていた。

 

うまく書こうとしないで、文章を綴るとこうなるということをここに記します。

Buona serata.

 

 

八丈島の備忘録

Buonasera.

2023年6月八丈島、旅のまとめ。

 

 

八丈島への期待

島に行くことに、いつも期待感を持っている。

これまで訪れた島では、その島ごとに様々な気づきを得てきた。

流れている時間がゆっくりであること、ノイズが少ないことが味方するのだろうか、島ではよく頭が回る。

脳裏に焼き付いた風景と体験がいくつも思い浮かぶ。

 

今回は八丈島を訪れる機会に恵まれた。

八丈島出身の友人がいたことや、八丈島からのみアクセスできる青酎という酒で有名な(?)青ヶ島への憧れから、八丈島はいつか訪れてみたい島の1つだった。

その島を日々社会に挑む仲間たちと、心強い案内つきで回れる機会を、逃さない手はなかった。

 

僕にとって新しい土地を訪れることが必要なタイミングでもあった。

5月中旬から、この先の人生について考えるたび鬱々としていた。

2年間の初期臨床研修を終えた後にどこへ行くのか。どう生きるのか。大切にしなければならない「根本」を見失っているんじゃないか。

独りでは答えが出せなくなっている頃に、この旅がちょうどぶつかったのは偶然ではなかったと思う。

 

この旅の目的

今回の旅の目的は3つ。

①地域を面白くするため/もう一度来てもらうために必要なエッセンスを見つけること

②島の風に吹かれること

③「生きること、死ぬこと」について自らの考えを深めること

上記の目的を果たすために必要であれば独りを選ぶこと。

これはフェリーに乗り込む前から決意していた。

 

①地域を面白くするために/もう一度来てもらうために

自らが暮らす環境を、今より少しでも面白い場所にするために、八丈島という土地の特殊性と、地域の持つ普遍性を掴んで、自分の挑む土地へ持ち帰る。

この島にはどんな歴史があって、どんな産業があって、誰がカギを握っているのか。

ヨソモノの視点は地域に新しい風を吹かせる。この旅の中で僕が感じたもの・思いついたことが、八丈島を面白くするきっかけになるのであり、その視点で自らの地域を見つめることで、自分の地域を面白くすることができる。

そして、もう一度地域を訪れたくなる要素を見つける。

人の行き来があれば風通しの良い、もっと面白い地域になっていくのだと思う。

 

②島の風に吹かれる

現状では答えが出せそうにない、これからの僕の人生に、ただ島の風に吹かれる時間をつくってあげたい、それだけだった。「意味」とか都会的なものは存在しなくていいと思った。ただ「意味」のない時間を過ごす。都会的なことをしない。それが目的の1つだった。

 

③生きること、死ぬこと

島という特殊な環境で、人がどう生きて、死ぬのか。つまり島にどんな「生活」があるのか。それを少しでも見たいと思った。そのためには島の人と関わらなければいけない。島の人が見ているものを見なければいけない。複数人で動くことで、時に地域はその口をつぐんでしまう。必要に応じて独りで動く必要があった。

 

旅の覚え書き

死にそうな思いをした当直業務(反省も多すぎた)を終え、40分程度の睡眠で身体を動かし、東京行きの新幹線に飛び乗った。その直前までゴルフの打ちっ放しをして飲みにまで行ってるのだから、我ながらどうか自分を労ってあげてほしい。22:30東京発のフェリーに乗り込んだ。

 

フェリーにも「酒飲めば友だち」精神で酒を持ち込む。周りを巻き込む。酒のない人には酒を渡す。デッキで地べたに座り込み車座になる。見事、船上に「飲み会」が完成したではないか。そこで行われるアイスブレイキングにどれほどの価値や必要性があったかは分からないけれど、それぞれの「したい話」が出てくる場ができあがっていた。僕はいつでも飲み会を開く側にいたいのだと思った。船の上にも飲み会は生まれる。

印象的だったのは、人が抱える生きづらさ、暗い部分の話。つい最近、生きづらさを忘れたふりをしていた自分の話を出してみると「そんなの嘘でした」と、スルっと想いが言葉になる。

まとまった話をできたかは、もはや意識が朦朧としていた可能性すらあって自信がない。ほぼ記憶もない。けれど、それぞれの話にそれぞれの人生が蓄積した言葉を交わし合う、あの雰囲気は東京湾を囲む光の中を闇に向かって進むフェリーのデッキで車座になった光景とともによく思い出される。こういう場所が世の中にもっとあってもいいはずだ。

フェリー売り場だからオリオンビール売るのは安直すぎないか

1日目

翌日の朝はよく揺れた。島が見えてくる頃になって、やっと海に穏やかさが訪れた。フェリー客を出迎える八丈富士の姿に、北海道の船上で見た利尻富士が重なる。島に上陸する実感が湧いてくる。

到着して迎えの車を待つまでの短時間にでも、つい独りになりたくなる。できるだけ遠くに行こうとしたところで車が来たという電話をもらう。短時間の間に看板と、観光案内所を見つけられた。

短い時間でも、ちょっとでも旅をしていたい。迷子になりたい。

フェリーを下りて1番初めに見つけた地図

AM8:50。宿に荷物を置いて朝ごはんを買いに行く。地元のスーパーは、旅先で必ず訪れる場所だ。ここに人の「生活」が詰まっていると言っても過言ではない。

どんなところで何を買って、食べているのか。そこから暮らしが透けて見えてくると思う。お総菜は何を置いているのか、スーパーはどこの系列なのか。何時から何時までやっているのか。色々な要素が旅先に住む人々の生活を規定している。

迷いに迷ったあげく、八丈島で獲れたマダイのフライだけを4枚も購入した。朝ごはんにフライのみってどうなのよ。でも4枚も食べたので、さすがに味を思い出せる。雨森商店で買った八丈島産マダイのフライ。早速、島の思い出ができた。

宿に着く前に4枚中2枚食べ終わってる…

朝ごはんの時間に、宿のファミリーに看護師さんがいたおかげで、聞きたかった島の医療について早速話を聞くことができた。限られた医療資源の中で、常駐ではなく交代で医師がやってきて診療にあたる。医療者それぞれのカラーがあって、住民のニーズに応えられているかどうかには個々人に差がある。

僕は、医療のないところで現代人は生活できないと考えている。ある種のインフラである医療を担うのは医者、看護師など医療者だろうか。医療における責任を、あまりにも医療者に押し付けすぎなのではないかと思う節がある。地域医療という言葉を聞くとき僕の中にあるのは、地域に立ち向かう医療者像ではない。地域において医療者を含む住民全体が、一丸となってその地域に特有の医療をつくりあげていく姿。それこそが地域医療なのではないだろうか。

「この医者は良い」「あの医者は良くない」その評価はあって然るべきで、より質の高いものを取り入れていくべきであることには賛成だが、その地域において生活していくということの重要な1要素に、自分自身も「医療をつくる側の1人」であることを、住民が自覚することが含まれると考える。個人が主体的な関わりを持つべき対象は政治だけじゃない。言葉にして訴えるだけでなく、こうして文字にして意見を表明するだけでなく、医療に対する地域のスタンスが変わる日のために、動いてみたいと思った朝のディスカッションだった。

 

朝ごはんを終えてからは完璧にアテンドされ、八丈島のブランド椎茸狩り、天然の足湯、島の牛乳を使ったジェラート、島民が集まる天然温泉、宿での豪華な宴会…と駆け足で八丈島の魅力を体験していった。

某有名テレビ番組にも何度も出演しているという「うみかぜ椎茸」を知ることができたことは、大きな経験になった。誕生秘話から現在の観光農園への発展、社長さんのこだわる力、突き詰める力に脱帽した。島で過ごす時間の中でもう1つ得たかった「お金の稼ぎ方」について大きな刺激をいただいた。食品を扱い、島外輸出や飲食店の展開までをブランディングしていく。これからの地域に欠かせない、尖った飛び抜けたプレイヤーの在り方を学んだ。

「この地域でしか」をブランディングしていくことで僕の願いである、「自分がいる地域が面白くなっていく」が叶うのであれば、僕にだって実行するモチベーションは十分あるはず。あとはネタの見極めと、こだわり突き詰める力と、実行力を発揮できるかどうかだけだ。

 

そしてメインイベントでもあるゼミの時間へ突入。

というタイミングで僕は町に出た。次の日には島を去らなければいけない僕にとって、八丈島で過ごす最初で最後の夜。夜というのは特殊な時間で、昼には見えなかったものがよく見える。みんながゼミに参加する中、何も無い真っ暗な道を、人が集まっているという噂の飲み屋街に向かって歩き始めた。

暗すぎて光が集まりきらなかった街灯

途中で信号が停電してしまったからか、警察官が交差点に立って交通整理をしていた。「こんばんは。お出かけですか」声をかけてくれたところから、繁華街への道を聞く。詳しく丁寧に説明してくれる。警察官だからちょっと怖いと思っていた自分が恥ずかしい。

そんなこんなでたどり着いた繁華街。

予想を裏切らない”繁華街”っぷり。

若いお兄ちゃんたちがいるお店ばかり。なんだか島の夜の時間でここだけ雰囲気が異なるようだ。この日のコンディションで入れる雰囲気ではなかったので、撤退。来た道を戻ることにした。

22時前にもなるともう店は早々と閉まっていく。2,3軒ほど断られてやっと入店することができた。

 

壁中にこれまでの予約のお客さんを歓迎する、名前入りシートが貼られている。隣に地元のおじさんと、リゾートバイト(この島ではリゾートバイトがキャバクラらしい)で島に来ているおねえちゃんのペア。奥には若いおにいちゃんペア。この日のコンディションでは到底会話に入っていけないので、黙々と島の料理と酒に向き合うフリをしながら、2つのテーブルと店のご夫婦の様子を観察していた。ご夫婦は適宜声をかけてくれて、島の食べもののことを教えてくれる。おじさんはおねえちゃんに島の人間模様について語り続ける。おにいちゃんペアはひたすらにそれぞれが携帯をいじっている。

ああ、なんでもないな。

この風景が見れたことに価値がある。

島たくあん 酸っぱい

島唐辛子入りオムレツ 辛い

出る頃に「まだ仲間が勉強会をしている」という旨を伝えると「お客さん居る間は開けてるから来るなら連絡ちょうだい」とマスターから名刺をいただく。このあとまだまだゼミが続いたので再訪とはいかなかったが、行き場をなくしがちな来訪者を温かく受け入れる心意気に惚れた。

もう一度地域に来てもらう、その要素になりうる店だと感じた。

 

写真には収められなかったけれど、夜は星が綺麗に見えた。

ただ星を眺めている、それも価値になりうるのが島という特殊な空間だと感じた。

 

 

2日目(最終日)

最終日の朝、島を走った。島の風に吹かれた。

静かな日曜の朝。ドライスーツでブイを引っ張っているおじさん、犬を散歩させているお兄さん、ゴミ屋敷を漁っている(?)おばさん。たまたま見つけたカフェで食べたモーニング。その食パンの情報。海と離島を一望できるデッキ。本棚の中に見つけた「八丈島誌」。人口のピークを迎えた頃の情報。戦時下における八丈島と軽井沢のつながり。手書きで書き直されたスーパーの営業時間。

湿気がありながらカラッとした青空の下を走って、視て、触れて、聞いたものは鮮明に残っている。

僕はもっと、自分の地域のことを知らなければいけない。

 

 

最終日もゼミの時間。

でもやっぱり僕は地域に出る。

民宿のおとんに進められた酒屋「山田屋」さんへ。店内は酒のブースとそれ以外のフードやお土産もののブースが1:1くらいの割合。もしかすると酒のほうが少ない。

自らの酒関係の事業では、これから酒屋さんと関わることが多くなりそうなため、こういった進んだ酒屋を見られたことは大きかったと思う。

酒屋ではない何か、になりつつある酒屋

そんなわけでまたゼミをすっぽかし、個人的に最も楽しみにしていた「くさや」の工場見学へ。

なんせ発酵食品は大好物、その中でもおかしなものほど好きになる性質。

くさや液とかいう濁って腐卵臭を出す何菌がいるかもわからない謎の液体に、魚をつけたら美味しくて長持ちするようになるよ!

なんて、誰だはじめに想像したやつ。

 

ブラックホールなのよ。泡立ってる…。

くさや液を舐めさせていただいたのも貴重な経験。

腐卵臭の中にうま味と生暖かさが溶け込んだ質量のある味わい。。。

これに傷ついた手を漬けていると傷が治るとか治らないとか。大量の菌がこの中で生きているということなので、もう何が起きても受け入れたくなる。菌は偉大。人智を越えてる。

 

お世話になった社長の長田さんもまた、もう一度地域を訪れるきっかけになる人物だった。

くさやというコンテンツから話題の広がり方が半端じゃない。くさやの向こう側に長田さんの宇宙が広がっていて、今も広がり続けている。少し時間が空けば、またアップデートされた話が聞ける予感。アップデートを予感させることは、もう一度訪れたいと思わせる要素なのかもしれない。

くさや1つで語りまくる長田さん。内容も化学研究から地域づくりまで。アツい。

そのあと、飛行機までの1時間程度を浜で過ごした。

せっかく島に来たのだから海に入らずしてどうする、と思っていたところにチャンス到来。入る人、入らない人に分かれるかと思いきや、1人ずつ誘われいつの間にか全員入水。最後は全員で飛び込んだ。なんの生産性もない。むしろ時間と手間がかかる。でも、アタマ空っぽのほうが夢詰め込める。

みんなで飛び込んだ

まとめ

八丈島の時間は文字通りあっという間に過ぎた。島で家業を営む心強い案内人のおかげで、自分だけでは見れなかったであろう島のいろんな側面を見ることができた。実際に足を動かし、僕だけが見られた島の風景もある。

地域のこと、人のこと、酒のこと、食事の場のこと。これからの自分にとって、あとから思い出して力になるであろう経験が詰まっていた。

 

人生の悩みについては、八丈島の風に吹かれても何か答えが出たわけじゃなかったけど、つまりじっくりいけってことなのかもしれないと思う。

時間の流れ方は相対的なもので、島で流れていた時間はどう考えてもゆっくりだった。内地にいて、都会と比べて、”本流”的な場所にいて、自分が流されていってしまう感覚を覚えたことがある人は多いのではないだろうか。

時には脱線して、遠くから自分の置かれた状況を眺めてみることが、この人間社会で生きていくうえで助けになることもあるのだろう。

 

6月は八丈島の2日間含め、いろいろと動いた。

先延ばしにすべき答えもあると気づいた1か月だった。

 

己を知り地域を知れば、百戦危うからず。(合ってる?)

また自分の居る場所で一歩ずつやっていこう。

Buona serata.

 

 

 

 

 

言葉に気をつけろ

Buonasera.

 

「目は口ほどに物を言う」から、態度や姿勢で意思は伝わってしまう。ときに言語外のコミュニケーションから間違った伝わり方もするから口を使って誤解ないよう伝えていくことも両輪で必要になる。

今年は「本物と一緒に」を合い言葉にした。

本物を知り、本物でないものを知る。

目は口ほどに、は目と口が連動しているという意味でもあって、目が本物の人は出てくる言葉も本物なことがほとんどだ。

環境は自らつくるものだし、やっぱりマイナスなまなざしやマイナスの言葉を使う人には気をつけたほうがいい。

彼らは手に届く他者を引きずり降ろすことで安心感を覚えている。

自らの中に変化を生み出さない人になってしまっている。

 

書くこと、つまり創り出すことをやめたら僕は腐ってしまう。

生物は変化を繰り返して生きている。

生体内の淀み、停滞は死に直結する。

変化を求めない創り出さないものは、もう死んでいるのかもしれない。

誰と一緒に歩いて行くか。

少なくとも僕は死人に興味はない。

 

Buonaserata.

俗俗(ゾクゾク)したい

Buongiorno.

 

久々にキッチンに立つ。

フライパン握って、肉と玉ねぎに火を通す。

別の作業も並行するから、ほったらかしにされるフライパンと肉と玉ねぎ。

時間と音と匂いでタイミングを計る。

少しずつ肉と玉ねぎが気になってくる。

意識がフライパンにもって行かれて、手元がおぼつかなくなってくる。

いよいよその時が近づいてくると手元はいっそう言うことを聞かなくなる。

慌ててコンロに戻る。

 

「2秒後が最高だ、」

 

感性が訴えかける。

誰もその前後を比べることはできない。本当に2秒後が最高かは分からない。

関係ない。

 

「2秒後が最高だ、上げろ」

 

瞬時に火を止めて皿を手にとり、「最高」を注ぎ入れる。

誰ひとり取りこぼすことなく、丁寧に、急いで。

決まった。この瞬間が、僕の、この料理の、頂点だ。

 

 

 

高尚なことを考えてみせる。

世の中のためになることとか、人を救うこととか、誰かの幸せとか。

応用編みたいなところにある「幸せ」について考えてみせる。かっこいいから。

 

そのくせ自分のことがよくわからない。

自分が本当に「幸せ」な状態にいるのか、それに向かえる精神状態なのか、これまで培ってきた足枷に邪魔されて、思考が歪んでいないか。

応用編じゃない、純粋な、一次的な幸せはどこにある。

 

うまいものをつくった、満足できる棚ができた、かっこいい演奏ができた…。

なんでもいい。

美しいものをつくる」その瞬間に魅せられている。

他の誰かなんてその瞬間、頭の中にない。

「キマった!」と思えるその瞬間に向かって、孤独に、ヒリヒリしたLIVE感を積み重ね、アドレナリンを放出しまくる。

そして遂にゴールテープを切った瞬間の、沸き上がるドーパミン

脳の中を快感が駆け巡る。

 

その瞬間やその成果を、誰かと共有できたなら、もっと幸せだ。

これは二次的なもの。ドーパミンのあと乗せ。追いドーパミン

脳のシステムの中にここまで用意されているんだと思う。

一次的な瞬間がないと二次的なものは成り立たないけれど、ここまでくればきっと絶頂できる。

 

二次的な幸せのタイミングが、共有といういかにも人間らしいところにある。

ここに「俗」を感じる。

(※俗=なみ、普通、平凡。人間の社会性を抜き去ったところには生物的な俗だらけだと考える。漢字は「人が谷のように限られた型にいること」を意味する)

 

見てほしい、聞いてほしい、触れてほしい…。

誰かとの関わりの中でしか得られない「幸せ」に向かって人間は歩いている。

脳がそういうふうにできている。

高尚なことは後回しだ。

まず自分が満たされろ。

そのために「俗」にまみれろ。俗は人間のシンプルなものの積み重ね。社会に放り出されて誰かの俗と俗がかけ算されて、世のならわしが生まれる。俗×俗で「俗俗(ゾクゾク)」。社会のならわしは上澄みすら混濁しているけれど、そこに人間の本質が隠れている。

俗俗することをしたい。

LIVE感から生物的な幸せ、そして共有による二次的(人間的)な幸せ。

俗にまみれて、はじめて手に入る。

 

社会性で自らの欲求を隠して「私は応援側です」って世間に定型文を述べて、自らのLIVE感に蓋をして、せいぜい一次的欲求までで強制終了する。

LIVE感を人に共有しようとすると挑戦のタイミングが含まれてくるから、つい避けるクセがついてしまうのも分かる。

ただ、1回やり方が分かればできるようになってしまうものでもある。

チャンスがあるかどうか、そしてチャンスから逃げないでいるかどうか。

 

ゾクゾクすること知ってるのって「遊び方を知ってる」と同義だと思う。

ゾクゾクしてる瞬間が多そうな人って、よく遊んでると思う。

一次的、二次的な幸せについて十分知っちゃっているから、自分はある程度満たせていて、たまに高尚なことも考えられるんだろう。

これはまた別の話になるので、ここまで。

 

Buona giornata.

「本物」と一緒に

Buonasera.

年始の意気込みをまとめたり全然できず、ささっと2月がやってきた。

今年の目標は「『本物』と一緒に」にしよう。

 

「若月、あいつはいいな。あいつは本物だよ」

 

故・若月俊一先生の公衆衛生分野における長年にわたる業績を記念し、全国の保健医療分野で「草の根」的に活動されている方を顕彰するために制定された「若月賞」。第1回受賞者の1人、精神科医浜田晋先生が式の懇親会中にこぼしたひと言。

 

前々から持っていた「『本物』になりたい」という欲求。

たくさんの人と関わらせていただき、視てきた。

その中でたしかに感じる「本物」「傑物」的存在。会って話せば、そうなのか、そうでないのかは驚くほど簡単に分かってしまうと感じている。

人生の中で熟成してきた哲学は、立ち振る舞いと、使う言葉で十二分に伝わってくる。決して業績じゃない、仕事の内容じゃない、世間の評価でもない。「本物」は「本物」だ。その本質はすでに若い芽にさえ宿っている。年齢でもない。年齢が進んでいるほうが「本物」かどうかは分かりやすかったりするとも思う。あと大事なのは、相手を自分の五感(と第六感)で視ること。世間がその「本物」に対して口にすることを気にしないこと。世間と「本物」の区別って案外とこういうところだったりする。

 

僕自身が「本物」になりたいという欲求。

そこへ向かって心のつながりをもって一緒に歩いて行ける「本物」たちともっともっと出会いたい。「本物」を見つけ出したい。そして僕の中の「本物」に近づきたい。

「悟りを得る」ためには自身がそこへ向かうだけではなく、たどりつけば次の者を「悟り」へたどりつけるよう導くということをする宗派があるとどこかで読んだ。

「本物たち」が、先へ進むために肩を並べる。そういう環境に身を置きたい。

 

世間に声をかけられたとおりに半歩下がっている時間は、短い人生の中にはどこにもない。

今年も僕が「本物」に成るために、「本物」のいる場処へ。「本物」のそばへ。僕の中の「本物」を見つけるための旅に出つづけよう。

 

Buona serata.

「時間は有限だけれど伸び縮みさせられるもの」と説かれ、”焦り”と呼ばれたものに対して赦しを得たような感覚になった、「光のない夜」にインスピレーションを受けて。