Buonasera.
2023年6月八丈島、旅のまとめ。
島に行くことに、いつも期待感を持っている。
これまで訪れた島では、その島ごとに様々な気づきを得てきた。
流れている時間がゆっくりであること、ノイズが少ないことが味方するのだろうか、島ではよく頭が回る。
脳裏に焼き付いた風景と体験がいくつも思い浮かぶ。
今回は八丈島を訪れる機会に恵まれた。
八丈島出身の友人がいたことや、八丈島からのみアクセスできる青酎という酒で有名な(?)青ヶ島への憧れから、八丈島はいつか訪れてみたい島の1つだった。
その島を日々社会に挑む仲間たちと、心強い案内つきで回れる機会を、逃さない手はなかった。
僕にとって新しい土地を訪れることが必要なタイミングでもあった。
5月中旬から、この先の人生について考えるたび鬱々としていた。
2年間の初期臨床研修を終えた後にどこへ行くのか。どう生きるのか。大切にしなければならない「根本」を見失っているんじゃないか。
独りでは答えが出せなくなっている頃に、この旅がちょうどぶつかったのは偶然ではなかったと思う。
この旅の目的
今回の旅の目的は3つ。
①地域を面白くするため/もう一度来てもらうために必要なエッセンスを見つけること
②島の風に吹かれること
③「生きること、死ぬこと」について自らの考えを深めること
上記の目的を果たすために必要であれば独りを選ぶこと。
これはフェリーに乗り込む前から決意していた。
①地域を面白くするために/もう一度来てもらうために
自らが暮らす環境を、今より少しでも面白い場所にするために、八丈島という土地の特殊性と、地域の持つ普遍性を掴んで、自分の挑む土地へ持ち帰る。
この島にはどんな歴史があって、どんな産業があって、誰がカギを握っているのか。
ヨソモノの視点は地域に新しい風を吹かせる。この旅の中で僕が感じたもの・思いついたことが、八丈島を面白くするきっかけになるのであり、その視点で自らの地域を見つめることで、自分の地域を面白くすることができる。
そして、もう一度地域を訪れたくなる要素を見つける。
人の行き来があれば風通しの良い、もっと面白い地域になっていくのだと思う。
②島の風に吹かれる
現状では答えが出せそうにない、これからの僕の人生に、ただ島の風に吹かれる時間をつくってあげたい、それだけだった。「意味」とか都会的なものは存在しなくていいと思った。ただ「意味」のない時間を過ごす。都会的なことをしない。それが目的の1つだった。
③生きること、死ぬこと
島という特殊な環境で、人がどう生きて、死ぬのか。つまり島にどんな「生活」があるのか。それを少しでも見たいと思った。そのためには島の人と関わらなければいけない。島の人が見ているものを見なければいけない。複数人で動くことで、時に地域はその口をつぐんでしまう。必要に応じて独りで動く必要があった。
旅の覚え書き
死にそうな思いをした当直業務(反省も多すぎた)を終え、40分程度の睡眠で身体を動かし、東京行きの新幹線に飛び乗った。その直前までゴルフの打ちっ放しをして飲みにまで行ってるのだから、我ながらどうか自分を労ってあげてほしい。22:30東京発のフェリーに乗り込んだ。
フェリーにも「酒飲めば友だち」精神で酒を持ち込む。周りを巻き込む。酒のない人には酒を渡す。デッキで地べたに座り込み車座になる。見事、船上に「飲み会」が完成したではないか。そこで行われるアイスブレイキングにどれほどの価値や必要性があったかは分からないけれど、それぞれの「したい話」が出てくる場ができあがっていた。僕はいつでも飲み会を開く側にいたいのだと思った。船の上にも飲み会は生まれる。
印象的だったのは、人が抱える生きづらさ、暗い部分の話。つい最近、生きづらさを忘れたふりをしていた自分の話を出してみると「そんなの嘘でした」と、スルっと想いが言葉になる。
まとまった話をできたかは、もはや意識が朦朧としていた可能性すらあって自信がない。ほぼ記憶もない。けれど、それぞれの話にそれぞれの人生が蓄積した言葉を交わし合う、あの雰囲気は東京湾を囲む光の中を闇に向かって進むフェリーのデッキで車座になった光景とともによく思い出される。こういう場所が世の中にもっとあってもいいはずだ。
1日目
翌日の朝はよく揺れた。島が見えてくる頃になって、やっと海に穏やかさが訪れた。フェリー客を出迎える八丈富士の姿に、北海道の船上で見た利尻富士が重なる。島に上陸する実感が湧いてくる。
到着して迎えの車を待つまでの短時間にでも、つい独りになりたくなる。できるだけ遠くに行こうとしたところで車が来たという電話をもらう。短時間の間に看板と、観光案内所を見つけられた。
短い時間でも、ちょっとでも旅をしていたい。迷子になりたい。
AM8:50。宿に荷物を置いて朝ごはんを買いに行く。地元のスーパーは、旅先で必ず訪れる場所だ。ここに人の「生活」が詰まっていると言っても過言ではない。
どんなところで何を買って、食べているのか。そこから暮らしが透けて見えてくると思う。お総菜は何を置いているのか、スーパーはどこの系列なのか。何時から何時までやっているのか。色々な要素が旅先に住む人々の生活を規定している。
迷いに迷ったあげく、八丈島で獲れたマダイのフライだけを4枚も購入した。朝ごはんにフライのみってどうなのよ。でも4枚も食べたので、さすがに味を思い出せる。雨森商店で買った八丈島産マダイのフライ。早速、島の思い出ができた。
朝ごはんの時間に、宿のファミリーに看護師さんがいたおかげで、聞きたかった島の医療について早速話を聞くことができた。限られた医療資源の中で、常駐ではなく交代で医師がやってきて診療にあたる。医療者それぞれのカラーがあって、住民のニーズに応えられているかどうかには個々人に差がある。
僕は、医療のないところで現代人は生活できないと考えている。ある種のインフラである医療を担うのは医者、看護師など医療者だろうか。医療における責任を、あまりにも医療者に押し付けすぎなのではないかと思う節がある。地域医療という言葉を聞くとき僕の中にあるのは、地域に立ち向かう医療者像ではない。地域において医療者を含む住民全体が、一丸となってその地域に特有の医療をつくりあげていく姿。それこそが地域医療なのではないだろうか。
「この医者は良い」「あの医者は良くない」その評価はあって然るべきで、より質の高いものを取り入れていくべきであることには賛成だが、その地域において生活していくということの重要な1要素に、自分自身も「医療をつくる側の1人」であることを、住民が自覚することが含まれると考える。個人が主体的な関わりを持つべき対象は政治だけじゃない。言葉にして訴えるだけでなく、こうして文字にして意見を表明するだけでなく、医療に対する地域のスタンスが変わる日のために、動いてみたいと思った朝のディスカッションだった。
朝ごはんを終えてからは完璧にアテンドされ、八丈島のブランド椎茸狩り、天然の足湯、島の牛乳を使ったジェラート、島民が集まる天然温泉、宿での豪華な宴会…と駆け足で八丈島の魅力を体験していった。
某有名テレビ番組にも何度も出演しているという「うみかぜ椎茸」を知ることができたことは、大きな経験になった。誕生秘話から現在の観光農園への発展、社長さんのこだわる力、突き詰める力に脱帽した。島で過ごす時間の中でもう1つ得たかった「お金の稼ぎ方」について大きな刺激をいただいた。食品を扱い、島外輸出や飲食店の展開までをブランディングしていく。これからの地域に欠かせない、尖った飛び抜けたプレイヤーの在り方を学んだ。
「この地域でしか」をブランディングしていくことで僕の願いである、「自分がいる地域が面白くなっていく」が叶うのであれば、僕にだって実行するモチベーションは十分あるはず。あとはネタの見極めと、こだわり突き詰める力と、実行力を発揮できるかどうかだけだ。
そしてメインイベントでもあるゼミの時間へ突入。
というタイミングで僕は町に出た。次の日には島を去らなければいけない僕にとって、八丈島で過ごす最初で最後の夜。夜というのは特殊な時間で、昼には見えなかったものがよく見える。みんながゼミに参加する中、何も無い真っ暗な道を、人が集まっているという噂の飲み屋街に向かって歩き始めた。
途中で信号が停電してしまったからか、警察官が交差点に立って交通整理をしていた。「こんばんは。お出かけですか」声をかけてくれたところから、繁華街への道を聞く。詳しく丁寧に説明してくれる。警察官だからちょっと怖いと思っていた自分が恥ずかしい。
そんなこんなでたどり着いた繁華街。
予想を裏切らない”繁華街”っぷり。
若いお兄ちゃんたちがいるお店ばかり。なんだか島の夜の時間でここだけ雰囲気が異なるようだ。この日のコンディションで入れる雰囲気ではなかったので、撤退。来た道を戻ることにした。
22時前にもなるともう店は早々と閉まっていく。2,3軒ほど断られてやっと入店することができた。
壁中にこれまでの予約のお客さんを歓迎する、名前入りシートが貼られている。隣に地元のおじさんと、リゾートバイト(この島ではリゾートバイトがキャバクラらしい)で島に来ているおねえちゃんのペア。奥には若いおにいちゃんペア。この日のコンディションでは到底会話に入っていけないので、黙々と島の料理と酒に向き合うフリをしながら、2つのテーブルと店のご夫婦の様子を観察していた。ご夫婦は適宜声をかけてくれて、島の食べもののことを教えてくれる。おじさんはおねえちゃんに島の人間模様について語り続ける。おにいちゃんペアはひたすらにそれぞれが携帯をいじっている。
ああ、なんでもないな。
この風景が見れたことに価値がある。
出る頃に「まだ仲間が勉強会をしている」という旨を伝えると「お客さん居る間は開けてるから来るなら連絡ちょうだい」とマスターから名刺をいただく。このあとまだまだゼミが続いたので再訪とはいかなかったが、行き場をなくしがちな来訪者を温かく受け入れる心意気に惚れた。
もう一度地域に来てもらう、その要素になりうる店だと感じた。
写真には収められなかったけれど、夜は星が綺麗に見えた。
ただ星を眺めている、それも価値になりうるのが島という特殊な空間だと感じた。
2日目(最終日)
最終日の朝、島を走った。島の風に吹かれた。
静かな日曜の朝。ドライスーツでブイを引っ張っているおじさん、犬を散歩させているお兄さん、ゴミ屋敷を漁っている(?)おばさん。たまたま見つけたカフェで食べたモーニング。その食パンの情報。海と離島を一望できるデッキ。本棚の中に見つけた「八丈島誌」。人口のピークを迎えた頃の情報。戦時下における八丈島と軽井沢のつながり。手書きで書き直されたスーパーの営業時間。
湿気がありながらカラッとした青空の下を走って、視て、触れて、聞いたものは鮮明に残っている。
僕はもっと、自分の地域のことを知らなければいけない。
最終日もゼミの時間。
でもやっぱり僕は地域に出る。
民宿のおとんに進められた酒屋「山田屋」さんへ。店内は酒のブースとそれ以外のフードやお土産もののブースが1:1くらいの割合。もしかすると酒のほうが少ない。
自らの酒関係の事業では、これから酒屋さんと関わることが多くなりそうなため、こういった進んだ酒屋を見られたことは大きかったと思う。
そんなわけでまたゼミをすっぽかし、個人的に最も楽しみにしていた「くさや」の工場見学へ。
なんせ発酵食品は大好物、その中でもおかしなものほど好きになる性質。
くさや液とかいう濁って腐卵臭を出す何菌がいるかもわからない謎の液体に、魚をつけたら美味しくて長持ちするようになるよ!
なんて、誰だはじめに想像したやつ。
くさや液を舐めさせていただいたのも貴重な経験。
腐卵臭の中にうま味と生暖かさが溶け込んだ質量のある味わい。。。
これに傷ついた手を漬けていると傷が治るとか治らないとか。大量の菌がこの中で生きているということなので、もう何が起きても受け入れたくなる。菌は偉大。人智を越えてる。
お世話になった社長の長田さんもまた、もう一度地域を訪れるきっかけになる人物だった。
くさやというコンテンツから話題の広がり方が半端じゃない。くさやの向こう側に長田さんの宇宙が広がっていて、今も広がり続けている。少し時間が空けば、またアップデートされた話が聞ける予感。アップデートを予感させることは、もう一度訪れたいと思わせる要素なのかもしれない。
そのあと、飛行機までの1時間程度を浜で過ごした。
せっかく島に来たのだから海に入らずしてどうする、と思っていたところにチャンス到来。入る人、入らない人に分かれるかと思いきや、1人ずつ誘われいつの間にか全員入水。最後は全員で飛び込んだ。なんの生産性もない。むしろ時間と手間がかかる。でも、アタマ空っぽのほうが夢詰め込める。
まとめ
八丈島の時間は文字通りあっという間に過ぎた。島で家業を営む心強い案内人のおかげで、自分だけでは見れなかったであろう島のいろんな側面を見ることができた。実際に足を動かし、僕だけが見られた島の風景もある。
地域のこと、人のこと、酒のこと、食事の場のこと。これからの自分にとって、あとから思い出して力になるであろう経験が詰まっていた。
人生の悩みについては、八丈島の風に吹かれても何か答えが出たわけじゃなかったけど、つまりじっくりいけってことなのかもしれないと思う。
時間の流れ方は相対的なもので、島で流れていた時間はどう考えてもゆっくりだった。内地にいて、都会と比べて、”本流”的な場所にいて、自分が流されていってしまう感覚を覚えたことがある人は多いのではないだろうか。
時には脱線して、遠くから自分の置かれた状況を眺めてみることが、この人間社会で生きていくうえで助けになることもあるのだろう。
6月は八丈島の2日間含め、いろいろと動いた。
先延ばしにすべき答えもあると気づいた1か月だった。
己を知り地域を知れば、百戦危うからず。(合ってる?)
また自分の居る場所で一歩ずつやっていこう。
Buona serata.