現代の食医見習い 食べて飲んで生きる毎日

北海道で医学生をしています。休学してイタリアで料理留学してた頃の話とか思ったこと書いています。

3つの心

これは手紙。

私から私たちへ送る。

 

住む場所を変えてから、そろそろ1ヶ月が経つ。

環境の変化は新たな出会いと、“世界”の崩壊をもたらした。

これまでの私では新しい世界への一歩に耐えられない。

人生を再び歩き出すために、私は私を、正確には3人の私たちを、赦す必要がある。

バラバラになった私たちに、3度声をかけることになる。

 

いつからか違和感の中で生きてきた。

社会に対して向けていた違和感が、社会性を飲み込むに連れて私に対する違和感へと変わっていった。

社会に順応するように、勉強に励み、スポーツに励んだ。

社会性を飲み込み続けた。

身体のほとんどが社会性に置き換わった時、違和感の矛先をどこに向けるべきか分からなくなった。

時を同じくして「目標」という名の無数のラベルが人生を覆った。

先の見えない人生を、目標を1枚1枚剥がすようにして歩き始めた。

それでも違和感への矛を捨てずに歩いてきた私を讃えたい。

彼こそが1人目の私だった。

この私だったんだ。

これからは君が主役でいていい。

君の将来は明るい。

 

旅の中で嘔吐し続けた社会性は「医学生」のラベルとして結晶化した。

「優等生」「エリート」「男」「10代」「20代」…。

他にもたくさんのラベルが結晶化していた。

飲み込まないと前に進めなかったんだ。

これを一手に引き受けてくれていた、2人目の私。

ずっと泣いていたんだ。

よくがんばったね。

ありがとう。

 

そして、久しぶり。

僕だ。

姿は幼稚園の年長〜小学校3年生くらい。

たまに見かけていたんだけど、すぐ隠れてしまうから苦労した。

遠くへ行ってしまいそうなところを見つけられたから、海の向こうへ旅立つことが出来たんだ。

見つけてもらうことを待っていて、見つけてもらうために私を学童保育や小児のいる場所へ動かしていたのかな。

これからは一緒だよ。

大丈夫。

 

微妙に重なり合った3人が変わるがわる顔を出すから、これまで誰にどの声かけをすればいいか分からなかった。

この手紙が少しだけ私たちそれぞれの顔色の違いを明らかにしてくれた。

3つの心を涙がほどき、つないだ。

私は私を、私たちを赦す。

これからも一緒にやっていこう。

 

 

 

 

 

 

「いのち」は何のためにあるのか

Buongiorno.

友人の旅先における臨死体験から、生と死の話になったその回顧録

意識が遠のく中で友人はたくさんの人の顔を思い出したと語る。

人生やヒトの歴史を貫くものは、「愛」であると。

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先祖は、食べ頃の果実を手に入れるために立体的視野を発達させた。

これにより消化に時間がかからず活動量を増加させることができた。

代わりに失った広範な視野を補うために、仲間とのコミュニケーションや表情の豊かさを発達させてきた。

1人では生存できないことが、遙か昔からプログラムに組み込まれている。

本能においては自らが生き残ることが最優先となっているはずだが、理性という武器によって自らを制することができる。

ヒトは「他者を助けたい」と純粋に思える可能性を秘めた生物なのだ。

時に己のいのちをコントロールすることで生まれる美談をあなたもご存知のはずだ。

おかげで今日も私たちが生きていられる。

こうして文字を打ち発信する手段も、その活動のためのエネルギーも、すでに社会基盤に組み込まれてしまって簡単には見えなくなっているものの、先駆者の「他者を助けたい」という気持ちのつながった結果であると言えるのではなかろうか。

 

しかし「『いのち』は他者を愛するためにある」と結論づけるのは勇み足につながりかねない。

他者を愛するレベルに達するためには、マズローの五段階欲求を超えた六段階目にたどり着いた存在だろう。

ニーチェの述べた「超人」や、仏教の「悟り」への道中の関所となるであろうこの六段階目にたどり着くには、五段階を満たす必要がある。

果たして『いのち』は自らへ愛を向けずして、他者への愛を向ける域へ到達する旅を始めることができない。

 

私も死を感じる体験をしたことがある。

やはり旅先でのことであった。

見知らぬ海沿いの土地で宿が見つからず、遠い海に太陽が消えていった。

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真っ黒な海を眺め道を行くとき、頭の中で再生された一節。

 

深淵を覗くとき、深淵もまたこちらを覗いているのだ。

ニーチェ

 

「死」の存在を認識した瞬間だった。

次の町にある宿を目指し治安の善し悪しも知らぬ外套のない夜の山道を行くしかなくなったとき、私は走り出した。

死から逃げるために、全力で走った。

 

旅は不確実性に満ちていて、旅を終えるためには最後まで生ききることが不可欠だ。

家に帰るまでが遠足、とはよく言ったものだ。

割愛するが、奇跡的に宿にたどり着いたときに出された食事と、次の日の朝に見た太陽を忘れることは出来ない。

あのとき、2段階目である安全欲求をはじめて自ら満たしたのだろう。

はじめて「死」を意識し、翻って「生」を認識した。

この時から私の「いのち」が目覚め、他者へ愛を向ける旅路の一歩目が始まった。

 

「いのち」は何のためにあるのか。

私の答えは私の旅の先にしかない。

「愛」というワードがコンパスになり進んでいけるのだと予感している。

言語を使い分ける

Buongiorno.

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同じ日本人でも話が通じない。本当に同じ?

 

「相手の気持ちになって考える」ということが、子どもの頃はできたはずなのに、大人になると難しさを感じる。
そんな経験なかったでしょうか?

どうすればまた、相手の気持ちになってコミュニケーションすることができるのか。

 

人間は成長するにつれて「私は他者と異なる」ことを明確にする材料を必要とされる。

「私」という存在を見失わないために。

相手に「私」を認識してもらい、受容してもらうために。

様々な属性をインストールすることが迫られる。

「〇〇出身」「〇〇卒業」「〇〇所属」「〇〇が趣味」…。

これらを社会における「言語」と名付けたい。

日本人が日本語を話すように、〇〇出身者はその土地のことを話す。

 

どうすれば他者と自分を区別できるか考え、持てる手札から効果的なものを提示していく。

次第に相手の反応にパターンが見えてきて、似たようなカードを切るようになる。

提示した「〇〇」に関心を持つ人、共有できる人とのコミュニケーションの回数が増えていく。

口にすることがあなたを形作る。

知らず知らず「〇〇」という偏りをもった自らに近づいていく。

いわば「〇〇人」になっていく。

「〇〇人」の文脈で話せば話すほど、さらに内容は偏っていく。

 

子どもの頃、周囲の世界は狭かった。

家庭、学校に、習い事があるくらいだろうか。

区別を必要とされる場面は多くなく、「〇〇」を求められることが少ない。

出会う人は家族か大人か、同じ子ども。

家族はあなたのことを前から知っている。

すでに「〇〇家」という言語を共有していて、コミュニケーションにストレスはない。

出会う大人は言語を子どもに合わせてくれるから、こちらからのコミュニケーションは「対大人モード」で十分。

子ども同士であれば、「子ども」という属性で共通しているので言語は一致する。

少し大人びたことを考えるクラスメイトと話しづらかった経験がないだろうか?

彼らは逆に、あなたが話していることが分からなくて、孤独を感じていたかもしれない。

 

大人になって、手札にある偏りを持った「〇〇」を素早く使い分けるようになる。

すると突然違う属性の人たちと話したときに、言語の違いに気づけなくなってしまう。

「この人はどうしてこんなに見当違いなんだろう」

「いつもなら伝わるのに、どうして伝わらない?」

コミュニケーションに弊害が生じてしまう。

もちろんあなただけの問題とは限らない。

相手も同様に偏っていることに気づかず、言語のすり合わせができなくなっている。

コミュニケーションは参加者によるセッションであり、上手くいかない時はお互いに落ち度があるものだ。

 

いま、相手と同じ言語を使えているか。

相手の言語に合わせて話せているか。

あなたがたくさんの言語を操れるのであれば、歩み寄れる側になれることに自信を持っていい。

Buona giornata.

 

 

なりたい自分 ver.2

Buonasera.

生き物がつくり出す時間の流れ。

生き物はエネルギーで動いている。

身体の中に原子炉を持っている。

食べものを入れてエネルギーを生み出し、世界に変化を及ぼす。

ニュートンのf=mgから始まる世界のエネルギーに、人間は主体的に変化を加えられる。

エネルギーをもった人間が集まる場所は、エネルギーが大きい。

大きなエネルギーを動かせる人間が集まれば、数以上のエネルギーの総体が生まれる。

 

東京で過ごす時間は、密度が大きい。

f=mgから始まって、エネルギーの多い人間が集まる場所では時間の流れが遅くなることを、説明できないのだろうか。

物理はそんなに得意じゃないんだ。

相対性理論を引っ張ってきたらどうだろう。

スカイツリーの上、つまり重力の小さいところでは時間の流れが早いらしい。

人間が集まることで重力に変化が起きて、大きくなっているとすれば、ここは時間の流れが遅いという説明になるんじゃないだろうか。

 

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生き物が好きだ。

特に人間が好きだ。

私自身という不可解な存在も、大好きだ。

人に好かれれば嬉しいのに、好かれることを拒んだりするし、1人になるのは寂しいのに、時々1人になりたくなる。

 

時間の流れが遅く感じられるこの場所で、たくさんのエネルギーを受けて、私が削られていく。

生まれたままの形で放置されていた私が、彫刻のように削り出されていく。

 

人間が好きだ。

人間を動かす食事が好きだ。

食事を楽しむ場所が好きだ。

揺れ動く人間の心が好きだ。

人と人の関係性の不確かさが好きだ。

そんな人間のこれまでとこれからが好きだ。

 

唯一ひとりの私。

医者で、料理人で、飲食店をしたくて、心に関心があって、お酒が好きで、表現することが好きで、今でも人目を気にしてしまう私。

他者の力になれることが人生にとって大きな喜びであることを知りながら、私のために貪欲に生きることをやめられない私。

 

あるがままであり、なりたい自分。

点を打ち続けた今、形になりつつある。

 

環境は人を変える。

狭い世界から一歩踏み出すことを、後押しし続けたい。

Buona serata.

「健康」と食の5W1H

Buongiorno.

 

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食事の場がもつ「健康」に寄与する力は計り知れない。
WHOが定義する「健康」には3つの要素があって、それぞれ肉体的健康、精神的健康、社会的健康とされている。
この3要素が満たされた状態を「健康」と定義する。
病気かどうかが「健康」を決めるわけではない。

 

肉体的健康は、食事と健康と言われたときに多くの人が真っ先に思い浮かべる「何を食べるか」に近い部分である。
睡眠や運動が身体の機能や筋肉にとってどのように作用するかもここに含まれるだろう。

 

精神的健康は、こころの状態に左右される。
気力やストレスなどに影響され、これは肉体的健康とも、後に述べる社会的健康にも大きく影響を受けるものである。

社会的健康は、その人が社会の中に居場所を感じられているかで決まる。
自己効力感(self-efficacy)、自分が力を発揮できていると認識することによる満足感や、自己有用感(self-usefulness)、他者との関係性において役に立った、喜んでもらえたという感情から得られる安心感などがある。

 

精神的健康の部分で述べたように、それぞれの要素がそれぞれと影響し合っているのがポイントだ。
気分が落ち込んでいる時は食べものを食べることすらできない。
1人で食べることが気持ちを落ち込ませる。
景色のいい場所で食べる食事はいつもより美味しい、などなど。

 

食事の「場」に関心を持つ私は、個人的には精神的健康と社会的健康に強く価値を感じて探求している。
「何を」(what)食べることを問題とすることは、あなたが『健康』を考えるときに真っ先に意識し、解決策を見つけられる事柄だ。
その解決策を提案するサービスは世の中に溢れている。
たんぱく質、低糖質、低GI、グルテンフリー、ファスティングetc...

 

これらは肉体的健康に主にフォーカスを置いている。
しかし「健康」を目指すには精神的、社会的健康の要素を満たしてあげなければ、永遠にたどり着くことができない。
それが溢れる情報とサービスによって見えなくなってしまっているのが現代だと考える。

 

what意外にも食事の要素がある。

what:何を

why:なぜ

who:どうして

when:いつ

where:どこで

how:どうやって

食事の5W1Hだ。

what以下の要素をデザインしていくことが現代の食事環境の改善と、大人を真似て育つ子どもたちの食事環境を豊かにするためには不可欠だ。

鍵は現代日本と、海外と、さらに歴史の中に隠されているだろう。

 

Buona giornata.

【感想】ユング心理学と仏教(河合隼雄)

Buongiorno.

本の感想シリーズをはじめてみる。

アウトプット無きインプットに、答えに向かう力はない。

自戒を込めて。

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河合隼雄ユング心理学と仏教」。

日本初のユング派の心理学者である河合隼雄が、長年の臨床心理学の経験と自らの仏教のバックグラウンドを照らし合わせながら、特に禅の考え方と心理療法に近いものがあることを述べていく。

 

読み始めてすぐに鈴木大拙著「日本的霊性」を思い出した。

日本的霊性は,鎌倉時代に禅と浄土系思想によって初めて明白に顕現し,

その霊性的自覚が現在に及ぶと述べる。

岩波書店「日本的霊性」解説文)

拙い解釈で恐縮だが、日本人にとって日本的風土かつ仏教が生活に溶け込んでいる中で育つこっとで、ある事象Xの捉え方が、大いに日本人的になる(無自覚になってしまう)。

ユング派の心理学は西洋で生まれたものであり、西洋・キリスト教的な考え方のベースをもってすればユングのいわんとしたほぼそのままの形で理解し、応用できる。

一方で日本人として日本的・仏教的な考え方のベースをもってすると、ある事象Xへいずれたどり着くという点では西洋と同じでも、思考方法や順序が逆転したりする。

異なる宗教が結局はすべて同じことを述べているという感覚に近い。

 

本書の中で示される日本の仏教の「牧牛図」と西洋の錬金術を示す「賢者の薔薇園」の類似性と差違を認めつつ、そのどちらもユング派の言うところの「自己」を探し求めることの表現であるという一致をみる。

両者の比較こそが東西の意識の在り方の比較になる。

これら2図の比較から、西洋近代の男性原理と、元来インドで起こった頃は男性に向けて説かれたものの、大乗仏教の考えが強くなることで母性原理を獲得し、原理的には母性優位の宗教となった日本仏教について示されていく。

真宗信心における心理構造の研究(1)

宗教の父性(男性原理)・母性(女性原理)について詳しくは上記を参考に。

 

日本仏教において母性が高く評価されることについて、神道において太陽神が他の宗教は男神ばかりであることに対して、天照大神が女性であることとのつながりを感じずにはいられない。

雨の多く、自然豊かな「生み出す力」を感じやすい日本において、生み出す存在としての女性原理が育ったというのはもう何千年も前のころからのことなのだろう。

 

人間の苦しみ、かなしみに応える宗教の力、特に日本人にとっての日本仏教の包み込むような力は、これからも無視するわけにはいかない。

Buona giornata.

 

 

子は社会の鏡

Buongiorno.

 

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アメリカの家族カウンセラー、ドロシー・ロー・ノルトの詩 "Children Learn What They Live" (邦題:子は親の鏡)の日本語訳を試みる。

この詩に目指す食事の場、未来のエッセンスが詰まっていると直感している。

 

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If children live with criticism,

They learn to condemn.

子どもは批判されて育つと、他者を責めるようになる。

If children live with hostility,

They learn to fight.

反対されることの多い中で育つと、争うようになる。

If children live with ridicule,

They learn to be shy.

馬鹿にされて育つと、引っ込み思案になる。

If children live with shame,

They learn to feel guilty.

恥を感じながら育つと、罪悪感をもつようになる。

If children live with encouragement,

They learn confidence.

励まされる環境で育つと、自信を持つようになる。

If children live with tolerance,

They learn to be patient.

寛容な場所で育つと、我慢強くなる。

If children live with praise,

They learn to appreciate.

褒められて育つと、感謝できるようになる。

If children live with acceptance,

They learn to love.

受け入れられる環境で育つと、愛することができるようになる。

If children live with approval,

They learn to like themselves.

認められて育つと、自分自身を好きになる。

If children live with honesty,

They learn truthfulness.

正直さの中で育つと、誠実になる。

If children live with security,

They learn to have faith in themselves and others.

安心できる環境で育つと、自己と他者への信頼を抱けるようになる。

If children live with friendliness,

They learn the world is a nice place in which to live.

好意と友情の中で育つと、世界は生きていくのに素晴らしい場所だと感じるようになる。

 

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深い根っこの部分で、選ぶ道を間違ってしまったような気持ちはないだろうか。

その気持ちがあるあなたこそ、世界を子どもたちのためのより良い居場所にするプレイヤーの1人だ。