masa-食べて飲んで生きる-

長野県小諸市でバールの店主/福井県で在宅医をしています。フィレンツェで料理人してました。

薬指に社会からの要請が宿る

結婚をした。

しばらく指輪はなかった。

相方には申し訳なかったが、結婚指輪を観に行くも、数十万円〜の価格がつくキラキラとした小さな輪っかに対して及び腰になるのを隠す言い訳も込めながら(言い訳が半分くらい)「指輪ってつまりなんなんだ」とごねたために、時間がかかった。

 

その後、指輪を手づくりする選択をし、今、相手が私につくった、私が相手につくった指輪が、それぞれの左の薬指に収まっている。

 

兎角ものをなくす私は抜くと無くすので、怖くて現在のところはつけっぱなしにしている。

装着感はそれほどないので困らないのだが。日々の生活でちらりと目に入る。

そのたびに、まだつけて日が浅いためか「喜び」と「複雑な感情」が起こってくる。

 

喜びはわかりやすく、他の誰かとこの関係性をもつことができていることに対する率直な感情である。

これは私とパートナーとの間の約束であり、クローズなものだ。

 

一方で複雑な感情。

「社会からの要請」が薬指に輪をつける人に働いている。

パートナー間の閉じたものではなく、我々が個対個で結んだ約束を目にして、他者が我々に、もしくは各々に要請する、ふるまいや、考え方の要請である。

「配偶者のいる人間として存在すること」について他者から監視を受けているような感覚になる。

「左手の薬指に輪をつけている/いない」この事実によって人は、あなたは、他者へのまなざしを変えていないだろうか?

 

嫌なら2人で決めて右手の中指にでもしておきなさいよ、とか2人で決めたネックレスをつければいいじゃない、とか別の約束を用意すればいいのにと考える方もいるだろうが、そうはしていない我々。

そこにも気づいている。複雑な感情の一端がそこにある。

「社会からの要請」のまなざしを受けることを私自身がよろこんで(?)受け入れることを選んだ結果だろう、という解釈もある。

自由にはあらゆる責任が伴う中で、社会が決めた「左の薬指に輪がついていれば結婚している」という壇上に乗ることを選んでるのは他でもない私/我々なのである。

 

この左薬指の象徴。

我々は左手の薬指を見て他人に無言の要請をする。

しかしその象徴を身につける選択は他でもなく夫婦自身にあり、その世界に収まっていくことを選んでいるからこそ、薬指に輪をつけるのであろう。か。

 

私だけでつける/つけないを決められないこと。

2人で意思決定をしていくこと。

左の薬指だけが重たくなってきた気がする。

一旦この辺りでやめにしておこう。

 

2026/01

2025年振り返り

2025年

・私と他人は決して一致しない、わかりあえない(だから環境づくりをすることに意義がある)

・結婚した。1人ではない私が生まれた

・記憶のない1月〜7月2週目こもろ祇園まで。キャパシティを越えて今この瞬間を成立させるために目に見えている範囲に手を伸ばすことは、経験にはなれど充足感とは直結しないことがある

・7月から医師勤務が週4日になった

・いろんな人生がある。生老病死に四苦加えて四苦八苦。

・社会の仕組みに目が向いた。個人の克己は全員に期待したり押し付けることはできないのだろう。では様々な手段を持ったとして、我々はどう生きる?(まだ回答が見つからない)

 

2026年からの目標

・大きく見せる自らをあきらめる。静かに真理を述べる人になる(中村哲さんのごとく)

・世の中に必要な本を出版する(2026年内)

・医師としての私を成長させてあげられる動きに意識を向ける

・まず手の届く範囲と向き合い、私の幸せの在処を見つける

・死に引っ張られないよう、死についての学びを深める

・人間理解に改めて力を入れる(読書)

 

幸せというのが1つのキーワードになっている現在。

 

幸せというのは、ただ居れば手に入る状態ではなく、とどまれず揺れ動く自身の現在地を、主観的な幸せの範囲に向けて動かそうとする不断の努力の中に宿る感覚ではないだろうか。

 

これは30年生きた私の意見であって。

死を具体的な自分ごとと感じて生きる方々にとっては「とどまれず揺れ動く」の感覚は諦められていくのかもしれない。

 

とかく「死」に引っ張られた1年だった。もともと持っていた好奇心が噴出した結果だろう。

ここに帰ってきた、という感覚。

でもあの頃の私とは異なっているはず、という未分化な私の存在も自覚される。

 

どう生きるのか。

その答えを手の届く範囲に真剣に関わり、見つけ出す2026年だと思われる。

 

いちばん自由に、笑っていたい。

「医(いや)す者として」で語られた「2足の草鞋」

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【「医す者として」で語られた「2足の草鞋」】

「医す者として」を観た。
若月俊一医師が佐久総合病院を育て上げた軌跡。
佐久総合病院が残してきた貴重なフィルム映像を使い、現代(2011年の頃)の佐久総合病院の映像と交えながら、これからの佐久総合病院の行く末を示した。
と言うよりは、2025年から見れば「行く末を案じた」作品だと言えよう。

映像で残すと言うことの絶対的価値を感じた貴重な映画だった。
出張診療を行なった1950年前後の佐久の農村の映像。生活空間が馬や鶏など家畜と隣り合い、ハエがたかる食器や赤ん坊の顔面の画。
回虫に侵された妊婦に虫下しを飲ませた直後「拳大の虫凝り(こごり)が口から飛び出た」と嬉々として語る93歳の助産婦の、当時を思い出しながら回想する表情。
当時の衛生状況の悪さを表現するには十二分すぎる。
若月先生が闘った当時の環境をわずかにでも追体験できた。

2019年に見学に伺った小海分院で同行できた北澤先生の診療風景にも再び巡り会えた。
2011年ごろの映像とはいえ「北澤先生節」が見事に炸裂している。
僕自身の今の診療スタイルは、その記憶の鮮明さと合わせて「はじめて触れた訪問診療」は北澤先生のそれに確実に影響を受けている。
今の僕の診療の一歩憧れの先に、たったの2時間程度同行した北澤先生の診療が息づいている。
あの大胆に、しかし繊細に、暮らしの中へ入っていくスタイル。
これまで数名のドクターでしか出会ったことがない、感動する「職人技」と呼べる診療だった。
余談だが諏訪中央病院の鎌田實先生の緩和ケア病棟での診療もよく思い出せる。
本当にレベルの高い、想いが詰まった極められた診療は、10分程度、1回のものであっても、ビシビシ伝わってくるものがある。

そしてなんといっても、「動く若月俊一」を始めて拝見できた。
動いて話す、動いて診療する若き若月俊一医師。目の色、考えながら話す様子、その出立と言葉遣い、言葉の出し方。
熱い人だったことも、本気であったことも、考えて話す頭の良さも、そしてたしかに政治家(本人は否定するのであろう)であったことも、ひしひしと伝わってきた。
若月俊一という人物の器とスケールの大きさが、さらに具体性を帯びて僕の中にインストールされた。

最後に、2025年において感じたこの映画の意義を。
歴代の院長たちが、若月先生なき佐久総合病院を憂いていた映像が立て続けに流れていった。
ここではあえて「変化」という言葉に留めるが、誰もその変化を止められなかったし、死んででも阻止しようという姿勢までは無かったのではないだろうか。
それは動画だったからこそ、よく伝わってきた。
若月先生が繰り返した、この映画でもフォーカスされた「医者は二足の草鞋を履け」という言葉。
その意味をそれぞれが解釈していた。
それぞれの解釈できる範囲で。
だから今の形がある。
みんな「医者」に留まってしまった。
やはり物事は、特に医療や福祉は、属人的でしかないのかもしれない。
しかしそれこそが本質であって、維持発展はおろか、維持をすることすらできない。
だから世の中の課題はいつまでも解決されない。

新しい流行りのサービスは世の中に生まれ続ける。
それでもそこに「平和」は紐づかない。
属人的な取り組みの不断の連続が起きる時、世界は今より少しいい場所になるような気がした。
若月先生を以てしてもできなかった「未来まで続く人材の育成」。
何かが邪魔をしたのだろうか。
それならば、邪魔したものは一体なんだったのだろうか。
その実現不可能性とはどこにあるのか。

二足の草鞋を履く、その言葉の中に潜む恐るべき覚悟。僕にはまだまだ見えていない。人に「二足の草鞋を履け」と言えるレベルには、まだまだ達していない。
まだまだ成長できる。


最近つくづく思っていた1つのことが、さらに具体的になった映画鑑賞だった。
「若月先生は、佐久エリアでは属人的なものを残すに留まった」ということ。
大前提として、若月先生への尊敬と畏怖は全く揺るがない。
1つだけ、若月先生に挑戦できる部分が見つかったのではないかとワクワクしている。
自分が死んでも残るものを、自分が闘った場所で残すこと。言っておいて、きっとこれは人類の歴史をみても無理なことなんだろうとは思っている。
そもそも若月先生は時代が違ったおかげで遠目にも見たことすらない僕にまで影響を与えている。
この人物がもうさらに100年は語られる存在であることは間違いない。
それでも、その地域は発展を一度止める時代を迎えている。
これから瓦解する途中なのかもしれない。
残したもの自体の推進力があまりに大きくて、余力でかなりの距離を飛び続けたことは理解できる。
南佐久地域が現代の実績で語られる未来は想像できない。
北佐久地域には残されている、きっとその余波がここには届いていて、適切な力が集まってきている予感がする。
しかしそれも確かさはどこにもない。
そのプレイヤーの1人に。
器と手札を適切に増やし「地域社会の民主化」を進める。
その先に「医療・福祉の民主化」ひいては僕が目指す「善く生き、善く逝く社会」が現れてくるのだろう。

少し心が動きすぎて、まっすぐすぎる文章になったかもしれません。
若い人間の率直な感想と受けていただければ幸いです。
本当に貴重な上映会を、ありがとうございました!!!
ご縁に感謝。

真面目に謙虚に直向きに、つくる

小諸でイタリアンバールをつくるために、イタリアに飛んだ投稿から1年以上経ってしまった。

発信というより自戒的に書くのがこちらのメディアの使い方なので、自戒している余裕がなかったらしい。

 

2024年6月22日に「kozorite」が長野県小諸市に開いた。

怒涛の数ヶ月で、改修の寒さで頭も指先も足先もマヒしていた。脳内アドレナリンにまみれて、ネガティヴな感情はかき消すように自分が思う「前」に前に、進んだ約1年間だったと思う。

本当に濃い1年間で、昨年の今頃はまだ初期研修医をやっていたというのだから驚きだ。

在宅診療医としても10ヶ月を終えたらしい。

 

6月22日以降は「料理人になる」「飲食店として店を成立させる」という自らに課した十字架を背負い道を歩き出したが、途中で背負っているものがイタリア料理修行の前に日本の料理人に背負わされた取るに足らない「“普通”への反骨心」のようなものだと6ヶ月くらいして気づいた。

面白いものが入ってくるスペースを開けるためにもつまらないプライドは捨ててしまうことにした。

ここはいわゆる「飲食店」である必要はないし、僕も「料理人らしく」ある必要はどこにもない。

僕は僕であって、僕という個人が全体として達成したいものに文字通り「全身全霊」で向き合っていけばいいのであって「料理人」「医者」といった社会的に必要な見た目は、その時その時でうまく利用していけばいいものに過ぎない。

 

もうこの世界にはいないけれど、言葉をくれた料理人がいた。

「真面目にやることや」

お店(という場)をやっていくために必要なことを教えてもらった。

物事がうまくいったように思えると、はじめのころの真面目さ、足りないものを見つける謙虚さを失う。

効率よくできるようになると、ひたむきさを失う。

時間がないふりをして「創る」行為を後回しにし始める。

 

それでは頭打ちだ。

年が明けて1ヶ月が過ぎた。

いつもまっさらな「この1ヶ月」が目の前にあるだけ。

今月もまた真面目に謙虚に直向きに、創っていこう。

夢を外力で動かし始めた2023年

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はじめまして。

高桑雅弘です、マサとお呼びください。Piacere.

2023年のビッグイベント、イタリア旅最終日にローマ・テルミニ空港から投稿しています。

 

長野県小諸市で医師をしながら、小諸駅前での飲食店づくりに励んでいます。

「なんで医者で、飲食店?」とよく聞いていただくので簡単に説明から失礼します。

原体験から「食事の場」に対する想いが強めで、飲食店オーナーを夢見た肥満児でした。

途中で父がしている医師という職業に憧れるとともに、飲食店オーナーという夢を忘れて、医師の仕事の中に生きる意味を見つけられると信じて、ガリガリと勉強した学生時代でした。

晴れて医学部に進学するも「食事の場」への想いは捨てきれず常に食について考えて、農家へ通うなり酒の勉強をして発信したりとドタバタ過ごした大学時代。

そのうち「飲食店オーナー」の夢を思い出して、医療との掛け合わせを試行錯誤。

休学しイタリアへ、医療者目線でも評価できる地中海食を学びに飛び出しました。フィレンツェで料理人生活を送り、コロナのパンデミックで帰国し、医学部卒業、医師としてのキャリアをご縁のあった小諸で始めています。

食事の場を通して「善く生き、善く逝く社会を実現する」にはどうすればいいか。飲食店づくりの先に見えてくると信じて、小諸でお店づくりに取り組んでいます。

 

夢、やりたいことは上記の通りで、その実現のために小さな一歩を踏み出した2024年でした。

 

今年のハイライトは

・店舗を借り(てしまっ)た

・「善く生き、善く逝く社会の実現」という信じられる標語が見つかった

・店もやるけど、医師としてのキャリアも伸ばしていくことに決めた

・約4年ぶりにイタリア到達

・会社つくる手前まで来た

 

こんな感じでしょうか。こういうときだいたい後半のことが多めになるので、上半期下半期で振り返るクセをつけていきたいものです。。。

店舗を借り(てしまっ)たことで、「ただ出ていくだけの賃貸料」という強力な外力を発生させてケツに火がつく形で走り出してみた結果、得たものが2023年だったと感じます。見切り発車、勢い発進バンザイ!!!(他人に推奨できない)

 

2023年費やしたコストに対して、満足しております。

一方で自分の船を出すために動き始めたことで、力不足を感じて悔しい思いをすることは増えました。

これからもその連続だと理解でき、物事を始めるって簡単じゃないんだなって、何を今さらですが痛感した年でもありました。

 

2024年へ。

研修医課程を卒業して、引っ越しして(変わらず小諸です)、新しい現場に入って、お店を完成させて。上半期の記憶が残る余地がすでになさそうですが、2023年に始めた勢いドリブンな道を、なんとかマネージしていきます!

2024年には勢いドリブン脱出するぞ!

 

クリスマスで浮かれるイタリアからお送りしました。

Buon natale!! Ciao!!

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つづき:イタリア旅振り返り

 

9日間の工程、イタリア最終日にお送りしているので、今回の「イタリアバール巡り」のまとめも綴ります。(適宜更新)

 

 

 

 

 

ぼくの母校、次の君の母校

2021年度に6期生としてお世話になったMakers University。
NPO法人ETIC.が主催する、豪華すぎるメンターと豪華すぎる応援者と豪華すぎる塾生の集まり。
2024年度9期生の募集が始まりました。
 
 
この豪華すぎる学校、どれだけ自分の力にできるかは正直、自分次第。
ここに関わろうとする時、良い思い出ばかりじゃなくて。むしろ僕にとっては6期の当時もそうだったし、今でも「悔しい」っていう感情のほうが多くなる場所。
でもそれって「今でも感情を動かしてくれる場所」ってことでもある。
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退屈な人生は要らない。
自分にも周囲にも飽きることのない人生を生きたい。
妥協のない道を歩みたい。
だから、僕は自分で道を拓きたい。
そして少しでも世の中を、今より善いところにしたい。
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こんなこと考えている僕の母校です。
この場所で感情を動かされるから「もっと!」と思えてもう一歩が出ます。
毎年ここに必ず関わると決めています。足の遅い僕すら拒まれない場所だからです。ここがあるから挑戦し続けられて、店をつくるという今があります。
おかしなやつだと思われないし、「もっと!」と思う力をくれる場所です。
感じ続けた閉塞感を「起業」や「生き方」でぶち破ってくれる可能性だらけの場所です。待っているのはカオスです。自分で決めて入って、自分で開拓してください。
これを読んで“ビビッ”ときたり“ゾクゾク”した君は、あとエントリーするだけだと思います。
お手伝いできることは少なからずあると思うので、連絡ください。
 

今の気持ちは今しか書けないらしい

Buonasera,

 

やりたいことたくさんあって、どこから手をつければいいか分からず久々にここに文章を書き始めました。

1日仕事して、美味しいカレーピラフを食べて、おなかいっぱいになって座るデスクチェアは、ものすごい催眠効果を放っているし。

書かなければならない書類は、炭水化物摂取後の膵臓ががんばってインスリンを出しすぎて眠くなる、いつものパターンで段々と意識外側へ遠ざかっていく。待って、行かないで。

 

情けない食後のグダグダも、些細な気持ちも、今しか書けないらしい。

依って立つところがなく、自分の仕事に自信も持てないで、よくわかる/よくわからないの両極端の間で「彷徨っているアピール」をしながら、依りどころを求めて今日も出口の無いところへ真っ逆さまに落ちていこうとしている。

そういう言い訳がましい感情だって、今しか書けない。30代、40代と歳を重ねれば思い出せなくなっていくから、今だけの文章なんだって、好きなアーティストが言っていた。

 

うまく書こうとしないで、文章を綴るとこうなるということをここに記します。

Buona serata.