現代の食医 食べて飲んで生きる毎日

長野県で料理人/医者をしています。フィレンツェで料理人してました。

「13月になってもいいのにね」

Buon anno!

 

 

12ヶ月で1周して、1から数えてまた12ヶ月。

「12月の次は、13月になってもいいのにね」

タクシーの運ちゃんのつぶやきが、2022年の審査員特別賞。

年が明けて完全にケリがついた2022年の振り返りから始めよう。

 

2022年最大の目標は「医師国家試験に合格する」。

これは2月半ばごろに「え、うそだろ叶っちゃった」くらいのテンションでクリアしてしまったので、以降10ヶ月は”ボーナスステージof人生”の心持ちで過ごすことになった。

「合格していなかった世界線」という心の置き場を想像して(本当に何度も何度も想像した)みると、目の前で起きること全部が1歩引いて考えられる。人生がRPGみたいな感覚。

「受かっていなければこんな素敵な体験できていない」

「受かっていなければこんなクソみたいな経験していない」

「受かっていなければこんな最高のご縁に巡りあっていない」

自分の人生を一歩”引いて”受け止められるようになったのが2022年。プレイヤーというワードに敏感になったのは、僕が僕自身を「プレイヤー1」として認識し始めたから?ちょっとした幽体離脱。流行りっぽくかっこつければメタ認知

二軸以上で自分を相対化できる状態が心地いいんだろうね」とご指摘いただいてここまでの人生が明るくなったのも良き思い出。医学生であり料理人。医学生でありお酒の普及活動。医学生であり農家へ行く。「〜じゃない自分」をつくることを無意識で求めて来たんだろう。

合格した僕/合格していない僕。本気で合格していない場合を想像したことで生まれたのは、人生の相対化。なあに、大した人生でないのだから、やりたいように身体動かせるように考え方のほうを変えればいいのだよ。

 

2022年を漢字にするなら「」か。

限られた人を引(惹)きつけたとも思うし、引きずり回した人もいたかもしれないし、たくさんの人を3歩くらい引かせた自信もある。どん引き上等。引っ張られたこともあったし、引っぱたかれた時もあった。引きづり出してもらったり、引き伸ばしてもらう機会も多々。

その経験のほとんど全てが、引き込まれた”ローカル”の文脈の中に。

生きる場所を決めてみるという選択は、間違っていなかったと思う。もっと生きれる。まだまだ生ける。

 

プレイヤー1は不運にも不幸にも不遇にもぶつかるんだろうけど、ゲームなんだから仕方ない。はじめから終わりまで調子の良い作品は後にも先にも見たことがない。

要するにそれじゃあ面白くないんだな。人を引きつけるものが、そう、困難がほしい。もっともっとほしい。

 

面白いほうへ、面白い人たちと、「大きくて美しいもの」を目指して。

僕のゲームは概ねそういうルールで動いているんだと自覚した2022年。

年をとればとるほどワガママになっている自分にはあきれるけど、諦めずに「自由」を目指して、仲間と手を取りあって歩いていきたい。

仲間っていいなって思えた年でもあったなあ。引き合うんだよな、君と僕。

 

反省すべきところも多々あって、”社会人”に擬態する術とかメタ認知不足とかいろいろあるんだけれど、1番はこれ。

役割として求められている「大きくて美しいもの」を示す力不足が年末にかけて急速に露呈した。

役割を果たすために努力する自分にchangeするのが2023年のテーマということで。

2023年はどんな漢字にするかな、なるかな。

抱負も改めてまとめてみよう。

 

ここまで読んでいただきありがとうございます。このご縁に感謝して。

Buon biaggio anche nel 2023!

 

 

 

 

 

 

 

病を病として受けとる私たちに求められること

生と死の話をしよう。

目の前の大切な誰かが病を患った。

あなたは心配をする。

彼/彼女のこれからの生を。訪れる死を。

 

本当にそうだろうか。

あなたが真に心配しているのは、あなた自身のことではないだろうか。

自分がそうなってしまったらどうしよう。だから、予防に興味をもつ。

これから見守る自分の生活が困窮したらどうしよう。だから、いくらかかることになるのかはっきりさせたい。

まだ「私から彼/彼女に対してやっていないこと」がたくさんあるのに死んでしまったらどうしよう。だから、彼/彼女の生を遠くに追いやろうとする。

その一生を通して、具体的には何もしないというのに。

どうしよう。どうしよう。どうしよう。

あなたが心配しているのは、つまり、あなたのことじゃないだろうか。

 

原因が老衰以外では納得ができない。

だから原因を探し、敵を見つけて恨み憎み、時に自己承認欲求を満たすために病を利用すらする。

あなたの人生は、そのあと少しでも豊かになったか?

 

「救えなかった、悔しい。」

エゴも自己理解の欠落もはなはだしい。

彼/彼女とともにあなたは生き切ったか?

人は生きて、死ぬんだろう?

そんなこと、出会ったときから分かっていただろう?

あなたの答えを出すことを先延ばしにしたのは、あなた自身だったろう?

 

病を病として受けとる私たちの心に、問題の本質が隠れていないだろうか。

 

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inspired by watching ”Meet Joe Black” and chatting with one of my best friend

他者の思考を方向付ける、つまり…

本に囲まれて寝た。

寝る前も起きても、目の前に本がある。

閉じた本、開いた本、いろんな状態の本がこちらを見ている。

所属する人間は本を求めている。

だからみんな本を読んでいる。

本を読んでいる他者が私を見ている。

 

私は自然と本を開く。

 

刷り込みや暗示など、本質はこういうことだろう。

空間は社会を方向付ける。

いわば洗脳のようなものは、空間がつくり、社会(=みんな)がつくるものでもある。

そこに人の意思が隠れている。

私の決断

2021年8月、大学も最終学年となり医師国家試験の準備が本格的になる時期。僕は札幌を離れ、1ヶ月間の「東京修行」に出ていた。来年から医師として長野へ行くということだけは決めていたあの頃。東京は面白くない、絶対に住まない、という今も根深い「東京アンチテーゼ」は僕の中で1周回って「1回住んで確かめよう」という決断になり、6月に友人に「東京でシェアハウスしないか」と誘われた2ヶ月後にはチャレンジを始めていた。東京のスピード感、人間の色、空気感。体感的には3ヶ月分の密度で駆け抜けた。東京で行われていること、人のエネルギーに影響を受け、そのエネルギーを受けて僕自身が、ドーピング的に、限られた期間高められたことも実感した。そして今「東京アンチテーゼ」は解像度が上がり、僕の中にある。「東京ではない場所で挑戦する」。決意が東京修行で高まった結果、この3ヶ月後に始まる「鋸南町修行」へとつながっていく…。

考える「地域医療」の姿

Buonasera.

 

地域医療とは何かと考えたときに、それは「地域において医療が回るようにシステムを構築する」と言うこととは異なるベクトルのものがあると考える。

 

僕は朝、ランニングをする。

町中を、郊外を走る。

走ると気づく。

高校生が電車を降りてくる時間とか、高齢者が歩いている場所とか、なんとなくある朝の集まりとか。

これを医師である僕が把握することが「地域医療」につながっていくと思う。

だから、僕のランニングは「地域医療」になる

 

地域に同年代が集まる場所がないようだったので「20代の会」をつくった。

これは人と人が関わる機会をつくったということで、関係性構築はお互いを支える力になりうると考えてのこと。

これから20代が地域の上の世代の技を継承していく機会もつくりたいと思っている。

名目は技の継承だけれど、そこにはやはり「関わり」の創造がある。

札幌でやりきれなかった「地域にセーフティネットを張る」ということが一貫した哲学になる。

だから「20代の会」も「地域医療」になる

 

人を想う気持ちがあれば、地域医療はすべて無手勝流でないだろうか。

答えのない問いなので、どれも答えになりうるし、それは批判とか少人数で頭をひねっていないで、とりあえず議論の場に挙げればいいのだろう。

 

Buona serata.

「今日まで生きてきてよかった」のために

Buonasera.

 

生きることは、関わること。

これまでずっと「苦しい」と思っていたことが、ふっと軽くなる瞬間がこの4ヶ月に詰まっていたように感じる。

きっとずっと憧れた”医師”という肩書きを手に入れたことが大きく作用しているのだろう。

 

「何をしたいんですか?」「何をしているんですか?」と問われたときに、

”what(=やっていること)"を答えることに自分自身、違和感を抱き続けていた

何かずれているし、遠回りになるし、”説明的”だと。

僕による僕自身の理解が足りていないことにもどかしさがあった。

このごろ、食事の場と健康っていう話とか、飲酒を通した食育のこととか、いわゆる”what"の部分じゃない答えをするようになってきた。

 

「人の『今日まで生きてきてよかった』のためにやっています」

 

僕自身への、そして僕と関わることになったあなたへの祈りみたいなもの。

死ぬ時を迎える誰もが、死ぬ瞬間に「今日まで生きてきてよかった」と思える世の中だとすれば。

本人は自分の死にすでに納得しているから、その瞬間を心安らかに迎えられる。

その周りの人は、いつ訪れるか分からない自分の死にすでに納得しているから、他者の死にも納得できる(もちろん時間はかかると思うが)。

そんな理想の社会で、人は”医療”を必要としなくなるとすら思う。

 

僕は「今日まで生きてきてよかった」の原体験が食事の場にあるからイメージできるもんで、食事の場でやろうっていうだけ。

同じ答えを持って音楽をする人もいるだろうし、器をつくる人もいるだろう。

積み重ねた「今日まで生きてきてよかった」が人生を楽しく感動的に、幸せにするだろうし、つらいときを乗り越える力になってくれる。

短い人生の「今日まで生きてよかった」の1つを、僕がつくる食事の場で感じてくれないかと、僕は食事の場を提案し続ける。

 

誤解を恐れず言えば、全ては僕自身のために。

それがきっと、いつか訪れる死を前提とした僕の生きる意味なのだと今は考えるから。

その信念が誰かのもとに届く瞬間を重ねることで、僕も「今日まで生きてきてよかった」を重ねられるから幸せになれる。

 

1ヶ月前。

ふと友人に「どうして(いろいろと)やってるの?」と聞かれたとき。

「僕が生きづらいからやってる」と、これまでと同じように即答した自分への違和感

ここのところあれこれと考えて1つ思い当たった。

冒頭に述べたように、医師という、あのときどうしても手に入れたいと思った肩書きが手に入った今。

もうあんまり生きづらくない自分に気がついた。

だからこれからは「僕が生きづらかったからやってる」ってことになるんだと思う。

ちゃんと抜けられる道があるんだと、今を生きる姿で伝えていけることがあると思う。

 

「時間」っていうのは実際、治療につながる大事な要素だと思う。

この仮説はこれからの人生で温めていこう。

 

Buona serata.

 

 

 

「どうしてそんなに焦っているの?」

Buongiorno.

 

20代の終わりが視界に入っても、若いままでしかいられない自分への詩。

 

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どの人生にも焦りが生まれるから、「焦りは禁物」「急いてはことをし損じる」「急がば回れ」なんて言葉が編み出されてきたのだろう。

 

2021年、大学も最終学年とはいえ、あれこれと動き回っていた頃。

「焦っている」と形容されて、自分が焦っていることに実感が湧くようになった。

どうして焦っているのかは分からないままなので、ふとした時に「焦っている」と声をかけられ、自分でも「そう、確かに焦っている」と自覚はしていた。

それでも理由は皆目見当がつかなかった。

 

昨日久しぶりに「焦っている」と指摘された。

またどこで焦りの材料を拾ってきたのか。

心当たりはないまま「たしかに近頃、焦っているのかも」と納得感はあった。

それでも理由はさっぱり思い当たらない。

 

今日登壇の機会があり「人生において譲れないこと」というお題をいただき、つらつらと話してみた。

それに対する参加者からのレスポンスに(非常に感度の高い方だったおかげで)、僕が焦っている理由の一旦に触れることができた。

 

人生の”終わり”への意識

 

いつも「死」や「終わり」を意識している。

中学校から憧れるミュージシャンは、26歳まで命を燃やし続けて終わりを迎えた。

好きな作品で、生き切って死んでいく登場人物たちの姿が心に残った。

憧れたいのちの現場では、人生の舞台を降りていく人たちの、多様な終わりや間際に直面し、関心を覚える。

 

「人は(生き物となんら変わらず)いずれ死ぬ」

その意識が、昔から強いのだと思う。

 

「いのち燃やして生きていたい」

かっこいいと信じる生き方に、いくつになっても憧れている。

 

僕が焦っているのは、死や終わりを意識してきた結果、今生きている時間に対する焦りが標準装備になっているからだ。

 

他の誰かのように、あなたが長く生きられる補償なんて、どこにもない。

「ああしておけば」なんて、いのちを燃やさなかった人間だったことを、自分で証明する気はさらさらない。

人生の甘えにつける薬が、他人から処方されることはない。

僕は「今日一日を精一杯、駆け抜けるように生きる」という”社会性”のない薬を飲む。

なまじ夢や目標を掲げて動くものだから「焦っている」と映ることになる。

周りで見ている人からすると、危なっかしく見えるのだろう。

 

一度振り出しに戻して話したい。

どうしてそんなに焦らないでいられるの?

 

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Buona giornata.