現代の食医 食べて飲んで生きる毎日

長野県で料理人/医者をしています。フィレンツェで料理人してました。

病を病として受けとる私たちに求められること

生と死の話をしよう。

目の前の大切な誰かが病を患った。

あなたは心配をする。

彼/彼女のこれからの生を。訪れる死を。

 

本当にそうだろうか。

あなたが真に心配しているのは、あなた自身のことではないだろうか。

自分がそうなってしまったらどうしよう。だから、予防に興味をもつ。

これから見守る自分の生活が困窮したらどうしよう。だから、いくらかかることになるのかはっきりさせたい。

まだ「私から彼/彼女に対してやっていないこと」がたくさんあるのに死んでしまったらどうしよう。だから、彼/彼女の生を遠くに追いやろうとする。

その一生を通して、具体的には何もしないというのに。

どうしよう。どうしよう。どうしよう。

あなたが心配しているのは、つまり、あなたのことじゃないだろうか。

 

原因が老衰以外では納得ができない。

だから原因を探し、敵を見つけて恨み憎み、時に自己承認欲求を満たすために病を利用すらする。

あなたの人生は、そのあと少しでも豊かになったか?

 

「救えなかった、悔しい。」

エゴも自己理解の欠落もはなはだしい。

彼/彼女とともにあなたは生き切ったか?

人は生きて、死ぬんだろう?

そんなこと、出会ったときから分かっていただろう?

あなたの答えを出すことを先延ばしにしたのは、あなた自身だったろう?

 

病を病として受けとる私たちの心に、問題の本質が隠れていないだろうか。

 

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inspired by watching ”Meet Joe Black” and chatting with one of my best friend