現代の食医 食べて飲んで生きる毎日

長野県で料理人/医者をしています。フィレンツェで料理人してました。

【2/3日目】口を診て暮らしをみる「現在」の医療の姿

Buonasera.

岐阜県岐南町の「総合在宅医療クリニック」さんの見学2日目の記録。

 

 


 


kamoshite-kuwa.hateblo.jp

 

この日はクリニックの「食チーム」のお二人についていくことに。

食事と医療が「健康」という目標に向けてどう動いていけるかを考えようという僕にとって、実際の取り組みを1日かけて見学させていただけるのは本当に代え難い経験だ。

今日のテーマは僕の人生の問いである「食事と健康」そのものだ。

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・病識と食識

クリニック「食チーム」の管理栄養士さんに同行して、1日がスタート。

患者さんのお宅を訪問して、食べることについてのケアを見せていただく。

今回は心配事を聞き出してアドバイスをするという往診だった。

食事については患者さん本人が作るのではなく、家族が作って食べさせていることは少なくない。

料理を支える「調味料」というのは、うまく使えば絶大なメリットを、間違えれば大きなデメリットを生み出す。

ご家族は、だしを用いて減塩する提案に対して、たしかに「だし」として売られている食塩メインの調味料を手にしてしまっていた。

しかもよくよく家族のためを思っての選択の結果が、それだったのだ。

買い物の場面で、いろいろとパッケージを見比べたり値段を見比べたりとしたことだろう。

そこにたしかに愛があって、人の生活は支え合って成り立っている。

しかし、その結果選び取ったものを使っていては、減塩は一向に進まないのである。

商品も情報も、多すぎるんだ。

もはやどう嘆けばいいのか、この憤りの行き場が分からない。

 

医療者は病気に対する理解度という意味合いで「病識」という言葉を使う。

医療者と患者が手を取り合って、治る力や生きる力を引き出すには、病識の向上が欠かせない。

病識をもとに考えを深めてみると、病院内で病気を診る関係性から在宅で暮らしをみる関係性になることで「食識」も重要になってくると言えよう。

食事が患者の生活を支えている、その食事への理解が得られなければ、患者の生活が在宅に耐えられようか。

さらに深めれば、患者やその家族の食識を高める提案は医療者が食識を持ち合わせていない限り達成されない。

情報を整理して目の前の患者や家族に最適の選択肢をつくり、提案するということ。

この場面では管理栄養士さんが適切に介入できたことで、家族が選び抜いた調味料は一度お蔵入りとなることになった。

これこそが理想とする医療の介入だ。

ずっと抱えてきた「医療者こそが食事の知識と理解を持つべきだ」という考えが、より強化された場面だった。

この岐阜県の1地域で起きたことは、全国で起きる必要があるのだ。

 

・「看取りの食支援」に見る食事の身体効果以上の可能性

クリニックの食チームの姿勢として、「看取りの食支援」というキーワードをご紹介いただいた。

死にゆく人も、可能なら口から食べる支援をする。

誤嚥、窒息というリスクがあっても口から食べさせること。

病院医療においては絶対悪とされるであろう選択も、在宅の場面で生活者と医療者が手を取り合う時、曖昧になる。

疑問を投げかけたい。

身体の健康は食事、心や生活の健康は運動や睡眠や趣味。

こんなふうにまるで医療のように生活が「専門分化」し始めたのはいつからだろうか。

そうでないとみんなどこかで分かっているはずなのに、簡単で分かりやすい方へ向かっていく。

 

「看取りの食支援」。

「食べる」という行為を通して人が幸せな最期を迎えられる支援。

いろいろな意見は受け止めつつ、「食べる」という行為の価値を、ただの「口からの栄養摂取」とは考えていないからこそこの言葉なんだと伝わってくる。

この姿勢こそが医療の枠を越えて、人のいのちをみるいのちのプロフェッショナルたちの、あるべき姿でないだろうか。

 

・「食事は医療行為じゃないから」

管理栄養士さんが漏らした言葉を聞き逃すことはできなかった。

これこそ僕がずっと抱える矛盾だからだ。

医療行為には国からのお金がつく。

食事指導にもお金がつくが、微々たるものだ。

食事は現代において、医療行為ではない。

 

管理栄養士さんたちが置かれている立場や葛藤があらわれたひとことだったと思う。

医師は様々な行為で人の命を救い、感謝される。

そこに自らの存在価値や医療、自らが拠り所にするシステムそのものへの疑問は湧きづらいものだ。

 

・算定しない仕事とポイントになるシュート

理事長である市橋先生が例え話をしてくれた。

医師はバスケでいうところの2ポイント、時には3ポイントのシュートを打てる。

食チームはポイントにならないけど存在し動いている。

食チームの動きは、1つ1つが決して点数にはなりづらい。

0点のこともある。

それでも市橋先生は食チームが、自由に動くことを推めている。

なぜか。

クリニック全体としての取り組みとしてみているからだ。

それが生活をみるということだと理解しているからだ。

算定されない仕事を推進してまで生活全体をみていくことができるクリニックの大きな度量に依るところであることは言うまでもない。

つまりは、「そういう仕組みをつくれ」ということだ。

医師や他職種が打てるシュートは2点、3点と得点になる。

いくらパスを回してもパスは得点にならない。

でも的確なパスと作戦がなければ得点は得られない。

物事を独立させずに考えるんだ。

シューターにボールが回るまでの線を無数に引くんだ。

そして、その作戦ができるようになるまでやる。

ポイントにならない動きもしながらシュートを打つという例え話に、そこにたどり着くまでの努力と歴史が顔をのぞかせていた。

 

・病識が変わる瞬間

午後からは歯科衛生士さんとの回診。

僕にとっては、前回記事にした1日目に伺ったお宅に、次は口腔ケアで伺うことになった。

この経験は変え難いものだった。

 

前日の時点で患者さんのキャラクターは見えていた。

なかなか手強い人で、先に言った「病識」の部分が十分でないと個人的に感じていた。

歯科衛生士さんがトライし始めてもそうだった。

全然治療やケアに協力が得られない。

病識が十分でないとこのような結果になる。

治る力や生きる力を引き出すことができない、医療が機能しないのだ。

「そうだよな、この人は仕方ないよな」

そう思った。

今日はこれでお暇だ。

 

だがここから、まったく予想していなかった展開になる。

歯科衛生士さんの粘り強い働きかけによって、患者さんがついに治療に協力する姿勢になったのだ。

しかもその時得たい「最も良い結果」にまで治療させてくれたのだ。

たどり着くまでは20-30分ほどだっただろうか。

一つ一つステップを積み重ねて言葉をかけ続けた結果、ベストの結果を得ることになった。

これには感動しかなかった。

「医は仁術」なんて言葉があるけれど、たしかに仁術なんだと思わされた。

治らないと思われた病気を美しく治してみせた、なんて現代的な美談をはるかに超えた感動が、あの歯科衛生士さんと患者さんとのコミュニケーションの中にあった。

患者の病識が一気に変わる瞬間がある。

そのための努力をできるかどうか。

医療者の力量でもあり、その医療者の地盤となるチームの力量でもある。

ここでは確かに医療が機能している。

チームが出来上がっていなければ、次にも患者が待っている以上、あの粘りはできない。

それを「やっていい」という日頃の共通理解が基盤になっているのだろう。

歯科衛生士さんの行った医療は、どこで見たものよりも劇的で美しかった。

 

・口腔ケア、口から始まる支援

食チームの、特に歯科衛生士さんが中心になって、クリニックが診ている患者さんの口内の確認を、クリニック全体で意識づけて行なっていることに感心した。

看護師さんたちも、訪問看護先で口内を確認することはよくあると話していた。

それも、食チームが口内の情報が患者さんにとって重要であることを理解してもらえる努力を重ねてきたからだろう。

お互いがお互いの仕事を理解して、その価値を認めて補い合う。

全員がその働き方をするチームはどこから突いても崩れない強さを持っているように思える。

口から始めて、食事や全身状態の管理へ。

目の前の病気を越えて、全身と、その生活をみる入り口になっている口。

口腔の状態が良くなることで生活が劇的に改善する例はいくつもあると聞いていたし、総合在宅医療クリニックではたしかに結果を出している。

口から医療が入り、口から結果が出る。

在宅医療は口に始まり口に終わる、飛躍して、医療は口に始まり口に終わると言えるのではないだろうか。

 

「未来の医師は薬を用いないで、患者の治療において、人体の骨格、食事、そして病気の原因と予防に注意を払うようになるだろう。」

The doctor of the future will give no medicine but will interest his patients in the care of the human frame, in diet, and in the cause and prevention of disease.

エジソンが言ったとかいうこの言葉。

食事はもちろんのこと、ここでいう骨格とは歯や顎の骨のことでもあるはずだ。

 

未来の医療の担い手を、医療の枠を越えて増やしていく。

そろそろ「未来」でなくなってくる頃だろう。

「現在」にしている場所がここにあるのだから。

 

Buona serata.