Buonasera.
なんの意味も無い言葉を、意味を込めず並べると、こんなタイトルになる。
なんの意味もない僕の24時間の積み重ねが、なんの意味も無い文章になる。
人生に意味なんて無い。
人生に答えなんて無い。
自由なんてない。
生きることに、意味なんて無い。
…ない、今ここには。
26歳になる年だった。
26になったら僕も彼みたいに死ぬのかなって中2病の名残、本気で思ってた。
そして26になって、まだ生きるっていう選択肢を得た。
もっと言うと、「まだまだ生きるぞ」っていう欲みたいなものだった。
今ここに答えはない。
どこまでいってもない。
何も無い。
僕の24時間の積み重ねが、世界を変えるなんてことはない。
僕がいてもいなくても地球は回って、時間は流れて、繰り返す。
医者になろうが、事業を起こそうが、成功を収めようが、救われない人だらけで、この人生はどうしようもないんだってよくよく分かった。
どこまでいっても意味の無い人生に、
言葉と、音楽と、料理と、表現とを、積み重ねる。
どうしようもないんだよって、そういう声を大きくするため。
どうしようもないから、大丈夫だよって、声を大きくする一員になるため。
僕は、まだまだ生きる。
繰り返すんだから、次の彼に「大丈夫だよ」って声をかける人になるために。
2021年は本当に長い1年だった。
気が遠くなるほど長かった。
きっと、これまでの人生の中で1番長い1年だった。
26年間が1回死んで、生まれ変わった。
そんな今年を漢字にするなら「始」。
死んで、分解されて、生まれて、また始まる。
せめて妄想だけでも、2度と我慢も制限もなく、伸び伸びと育っていいと思うんだ。
「きっといつか答えは育むものだと気づく。育むものだと気づく。」
尾崎豊「優しい陽射し」
Buon anno.
La sua vita è bella.