現代の食医 食べて飲んで生きる毎日

長野県で料理人/医者をしています。フィレンツェで料理人してました。

Plus Ultraってしんどい?

Buonasera, Buon natale!

25日昼のクリスマス営業はドタバタと過ぎ去り、

夜お招きいただいたイタリア人おばあちゃんのお宅でのtradizionale(伝統的)なクリスマスパーティーも終わり、

本日はのんびりのんびりとFirenzeを満喫(観光?)してました、くわっちです。

「こっちのクリスマスは日本の正月のようなもの」

とはよく言ったもの。

昼から夜まで食べて、食べて、食べる。

まったく日本の正月と一緒じゃないか!Bravo!

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Festa di Nataleでいっぱい食べました

 

今日はまとめない/まとまりのない文章を書きます。

終わりが気持ち悪かったらぜひコメントで「気持ち悪い」って書いてください。笑

 

 

 

日本に帰っていた人、日本に帰っていく人、日本人らしさを保ち続けている人。

こちらでこういった日本人の方と接すると自分が日本人であることが思い出されて、

懐かしさを覚えたり、

あの日本の飲み会をしたくなったり、

言葉にならない感情を抱えたりします。

今日は僕が思う「日本人らしさ」の悪い面について書きます。

根源的に他人の目を意識するアレです。

 

僕はいつからか、

過去の自分より現時点の自分が成長しているように努力することを当たり前のこととしていました。

7年ほどやっていた野球のおかげでしょうか。

目標を掲げて努力する。

昨日より今日、今日より明日、向上、成長、脱皮、進化、日々精進、改善、plus ultra。

どの言葉でもいいんだけど、こんな感じ。

目標に向かうとき、

「己が道を邪魔するもの/人は排除する」

くらいの勢いで考えて進むようになりました。

時には自分さえ排除するつもりで、

自分の当たり前を破壊することにも挑戦してきました。

自分自身以外に誰か、何かに危害を与えることはやってない(はずな)ので安心してください。

 

 

イタリアに来る前に、近しい人に言われた覚えがあります。

 

「それって生きづらくない?」

 

生き易くないのは間違いないんだけど、

改善なく次の1日を生きてしまう自分は許せなくて、

その努力ができないほうがよっぽど生きづらい。

明日の僕がおよそ昨日の僕のままでいることに黙っていられない。

「できない」まま目の前にあることができるようになる努力をできない、

「『いつか』できるようになる」と眺めているだけなのが苦しい。

 

『いつか』っていつなんだよ。教えてくれよ。

 

 

 

人生のこととか、死のことを考えてからなのかもしれない。

憧れの人は命を燃やして生きて、

26歳で死んだ(僕が生まれたときには、すでにこの世にいなかった)。

そんな彼と出会った多感な中学時代にはおじいちゃんが亡くなった。

もう2年もしたら自分が就く職業は、人の死を扱う場面が当然ある。

医療をテーマとした映画や本には死の場面は必ずついてくる。

映画はヒューマンドラマ系が好きなので、医療以外のテーマでも死は扱われる。

様々な物語の中で人は死を迎えていた。

人生はひょっとすると短いのかもしれないと思った。

 

 

 

日本にいるよりは危険が多そうな海外に行くことを決めた。

「もしかしたら行くことで自分の人生が終わるかもしれない」ことをもちろん考えた。

「自らの死」について真剣に考えた。

その時出た答えは

「そこで死ぬならそれまでの人生なんだ」。

無事に帰れるのであれば、

生まれたことに意味があり、

僕を求めるものがあるということだと捉えることにした。

そして海外に出た。

 

ああ、人生は短いんだ。

そう自覚できてから、

このちっぽけな短くて世界の歴史からすればなんでもない、

何でもない自分の人生でいったい何が為せるのか考えるようになった。

僕が何かするなら「『僕』が動かないと何も始まらない」ことに気づいた。

ちっぽけな存在が必死に命を燃やして生きたら。

毎日、目標に向けて自分を越えていけたら。

その先にある世界がちょっとでも今より良くなるんだったら

「やってみる価値はありますぜ!」と思うようになったんです。

 

もっと良くなるほうへ自らの殻を破り続けることは、

僕が健康で生きるための最低条件です。

でも、

「それって生きづらくない?」

と言われたように、

あくまで僕の人生におけるものであって他人に当てはまるモノではない。

当てはめて良いモノではない。

だとすれば、いったい何が異なるのか。

理解できないから他人の話に釈然としなくなる。

何がどうなったら僕や周囲にいる向上心の塊みたいな人たちと異なっていくのか。

他人を意識しての結果か、

トライしやすい環境の有無か、

周囲から受けた精神性か、

教育なのか、

いったい何が異なるのか。

 

 

 

日本人とイタリア人が違うって言われても、

「まあそりゃ違うでしょうね」

って思う。

日本人と日本人が違うって言われると、

「え、なんで?」

ってなる。

この問いって根本的には一緒なのかな?

 

 

 

宣言通り、今日はまとまらないまま文章を終えます。

雑な文章になってしまったナァ。でも放置するけど。

また頭がまとまったら改めてこのテーマ書きたいと思います。

ちょっと寝かせていただきます。

Buona notte!