現代の食医 食べて飲んで生きる毎日

長野県で料理人/医者をしています。フィレンツェで料理人してました。

当事者でないと語れないことがある。初めて理解できた。

こんばんは。

SNSコロナウイルス絡みの投稿を続けて見えてきたことについて。

なぜ今そういうことを投稿し続けているかについても合わせて文字に起こしてみます。

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適当でなんでもない一汁一菜が日々を醸成するんだね。

ブログ記事をふり返ってみると、

僕とコロナウイルスとのお付き合いは2月25日あたりからのようです。

春休みにイタリア旅行を予定していた友だちが続々とキャンセルし、

日に日にお客さんが減っていくことをレストランの現場で目の当たりにし、

春が近づき増えてきたなと思ったフィレンツェの観光客が翌日には激減し驚いたりした頃でした(もちろんウイルスの影響)。

BARで新聞を見ると一面が必ずイタリア北部の現状を伝えるニュース(イタリアの感染拡大は北部からでした。今でこそ南へ広がってしまっていますが…)。

仕込み中のラジオではどこどこでコロナが出たって話。

「北部が大変だなあ」ってただ漠然と思っていた。

あの3月9日、

レストランが休業を決めイタリア全土Lockdownを知るあの日まで、

まさかフィレンツェにいる自分の生活が大きく変わるなんて思っていなかった。

 

それでもイタリアからヨーロッパ全土へと広がるとは思っていなかった僕。

本当に吞気だったと思うけど、

「しばらくすれば収まるだろうから国外で様子見よう」なんて考えて、

その後スペインでコロナウイルスに追いかけられながらの旅をしたのは、

これまでのブログを読まれた方はご存知のことかと。

スペインで閉鎖からの逃亡劇を経験して、

COVID-19がインフルエンザと比較できるようなウイルスじゃなく、

世界全体に影響を与える怖いウイルスなんだと実感し始めました。

スペインのLockdownを直前に幸いなことに日本に帰ってくることができたわけですが、

逃亡劇で覚えた危機感のまま、

「いま世界で何が起きようとしているのか」

をこの目で知るために、

2週間の自主隔離中はBBCニュースとインターネットで見つけられる情報に当たって追い続けました。

連絡がつく留学中のトビタテ生には片っ端からコンタクトして、

現地で起きている生活者目線の情報も集め続けました。

 

そして予想していたとおり段々と日本の現状も悪くなり始めた。

一度この目で「段々と」の後に何が起きるかを見てきた僕は、

これからどうなっていくのか具体性をもって想像できます。

しかし。

日本のニュースでは未だにハッキリしないことを言ってるし、

日本人の動きは大して変わらないし、

期待する海外のような大きな対策が取られることがない。

何故だろう?

その答えは全然難しくなかったです。

 

 

日本の多くの人は今、

「3月9日までの僕」なんだ。

 

 

もちろん初めからここまではっきりと思っていたわけではなく、

「僕が今感じている危機感を他の人は感じていない」

くらいの理解でした。

自分自身はじめは何にも分かってなかったことをふり返ってみると、

この危機感の水準が揃ってくれば人の動きは変わると感じました。

みんなのInstagramは普段通り。

みんな普段通り見てるし普段通り使ってるなら、

僕がみんなにとって普段通りじゃない投稿をすれば、

少なくとも届く範囲には一石投じれるだろうと考えて動き始めたということです。

残念ながらものさしが無いので測ることはできませんが、

この足掻きが誰かに影響を与えられていることを祈るばかりです。

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外出ができないなら、胃袋で季節を感じよう。

冒頭に書いたことに戻ります。

コロナウイルス絡みの投稿を自分の言葉で続けたことで分かったこと。

 

当事者でないと語れないことがある。

 

この日本語だけ読んだら「そんなの当たり前だ」って思うでしょ?

でも僕は24年間生きてきて今回初めて分かったんです。

この短い当たり前の真意は、

「周囲に伝えねば」と自分が実感をもって思った物事を、

自分の言葉で伝えようと一定期間試みたことがある人にだけ理解できるみたいです。

 

必死に伝えようとするけど最初はなぜか伝わらない。

いろいろ考えて工夫をしてみたら簡単に伝わったりする。

継続しているとふと訪れる、誰かに影響できたと実感する瞬間。

自分の言葉で語ろうとしたからこそ、

24年間で初めて理解できたんです。

 

ここからコロナウイルス以外のことにも通じると感じました。

戦争のこと、

HIV/AIDSや多くの難病といった病気のこと、

東日本大震災北海道胆振東部地震など災害のこと。

所属する社会で起きていること。

 

当事者にしか語れないことがあるんです。

そして残念ながら第三者は簡単には理解できないんです。

歴史をふり返るとき僕の頭に浮かぶのは差別に立ち向かった偉人たちの名前です。

マーティン・ルーサー・キング

ガンディー。

ネルソン・マンデラ

声を上げ前を進んだ彼らは当事者だった。

彼ら以前に動きを起こした人たちも当事者だった。

ともに歩き始めた人たちも当事者だった。

彼らが声を上げ続けたからこそ当事者ではなかった人たちが変わり始めた。

 

ここで偉業を褒め称えようと例に出したわけではありません。

哀しいかな、これが現実。

世の中の何かに気付く人は第三者じゃないんです。

きっといつも当事者なんです。

気付かざるを得ない状況に置かれた人たちです。

そしてつらい道にはなるけれど、

気付いてしまった人が声を上げることができれば、世の中は変わります。

その声が長く続けば、世の中が変わります。

三者すら巻き込んで、世の中が変わります。

だからもし何かこの世の中で変わってほしいと願うことがあるなら、

気付いてしまったあなたが適切に声を上げていくことが必要なんです。

 

声を上げるということは言葉を適切に使う必要があるということ。

僕自身いつも言葉に学び遊び注意し生きていますが、

やはり目指す場所は遙か彼方です。

伝わらなかったとき、

相手に問題があるんじゃなくて、

自分に問題があるんだと反省する毎日です。

 

 

適切に言葉を使えているでしょうか。

 

 

おやすみなさい!

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冷蔵庫整理こそ家庭料理の醍醐味では