こんばんは。
ふとハプニングが起きて書き記したくなったので書きます。
でも出だしは努めていつも通りで。
自主隔離の「2週間」が終わりました。
その間に日本も雰囲気が変わってきました。
僕が居た2週間前のスペインはこんな感じだったと思います。
今は「安全に外出できる場所」なんてほとんど見当たりませんね。
趣味がランニングなのが何よりの救いです。
そしてこの「2週間」がポイントになると考えています。
罹っていたけど症状が出なかった人はこの魔法の「2週間」を経過すれば体内のウイルスを全て無力化し誰にも移さない健康体に戻れる、と誰が言い切れるのか。
生物に個体差があるということは、
魔法の2週間がみんなに当てはまるとは限らないということです。
引き続き「自分はウイルスを持っている」という意識で行動していきます。
さて、ふるさとに置いてきた「過去」の話です。
帰省してから、
初めはやりたかったが故に、
途中からは母親の助けにもなることが分かり、
時々、昼食や夕食を家族に作っています。
生まれたときからずっと近所にあるジャスコ(今ではイオン)。
買い出しもやります、スーパーで食品眺めてるの大好きなので。
それでいつも通りジャスコに行きました。
いつも通りの入り口から入って、
いつも通り下りのエスカレーターに乗りました。
すると、いつも通りじゃなかったんですね。
向こうから高校時代の野球部の監督が上がってきたわけです。
身体が反応して「K先生、お久しぶりです!」なんて挨拶をしましたが、
エスカレーターのすれ違いだったため、
その後ゆっくりお話することはありませんでした。
知っている人に久しぶりに会うことは、
実家を離れたまに帰ってくる自分にとっては楽しみなものでもあります。
このハプニングでいろいろ心がかき回されまして、
自分で計画して会うのと偶然会うのとはまったく意味合いが違うということを学びました。
金沢に生まれて高校卒業まで。
楽しかったこと、つらかったこと、嬉しかったこと、恥ずかしかったこと、
金沢のそこら中に破片が散らばっているわけです。
「想い出」ですね。
想い出の場所、モノ、匂い、人、作品…。
それがふとしたきっかけで自分の中の想い出ロッカーとリンクします。
ロッカーが急に開いちゃうわけです。
詳細な想い出と感情が溢れ出てきます。
これまでの経験で、良い想い出ロッカーは海外で開くこともありました。
代表的なのが「おばあちゃんちの匂い」。
常に良い想い出にリンクしています。
自然と笑顔になり海外生活で荒れた心が簡単に落ち着くことがありました。
今日のやつはちょっと危なかった。
僕は小学校3年に始めた野球を高校1年の7月で辞めました。
高校に関しては部活に入って3ヶ月で辞めたことになります。
15歳の僕にはとてつもなく大きな決断でした。
辞める理由はたくさんある。
辞めづらい理由もたくさんある。
たくさん悩みました。
最後はK先生のところへ「辞めます」と言いに行きました。
あの時の決断について一切の悔いはありません。
あの時野球部を辞めたから、
今こうして僕でいられている。
ずっと続けてきた野球を途中でやめることで自分が解放されたことを覚えています。
「野球を辞めたって、こうして僕は生きている」
たしかに僕の中で言葉になって15歳の僕を救いました。
よく評価いただける僕の行動力の源泉は、
「それでも生きている」と15歳で思えたことにあるとか思っています。
で、今日。
この一連の想い出が開いちゃったわけです。
そのあとの買い物中は野球に関係する想い出で頭が一杯になりました。
コントロールできないくらいに。
ある程度自分の中で精算していたのが幸いしたのか、
具合が悪くなるまでは至らなかったですが心拍数は上がりっぱなし。
ある種のトラウマになってたわけですね。
開くまではトラウマになっていることも分からなかった。
ここから過去の扱い方の難しさに考えが及びました。
地元が好きな人も、
地元が好きでない人もいると思います。
僕は胸を張って「金沢が好き」と言うことができます。
良い想い出に関するロッカーが心の中の目に付くところにたくさんあります。
「できれば開けたくないロッカー」は目に付きづらいし前者に比べてとても小さい。
帰ってきてたときに、
「良い想い出ロッカー」を開けたいときに開けられるし、かつ
「できれば開けたくないロッカー」を開けなくても大丈夫だと無意識に思えるから、
金沢に安心して帰って来れます。
でも同じようにみんなが地元に安心感を抱くわけではないんだと学びました。
「できれば開けたくないロッカー」の鍵がそこら中に転がっていて、
帰れば勝手に開いてしまう機会に曝されると思えば、
地元は帰りたい場所ではなくなる可能性もあるんだと。
もちろんこれは地元に限った話ではないですね。
過去は変わらないって言われるけど、
変わらないのは「過去にあったそのような事実」だけなのかな。
自分が前に前に進んでいる限り、
過去はベルトコンベアーに乗せられてより過去へと遠ざかっていく。
ベルトコンベアー上で「時間」や「今の自分」が加工してくれるので、
「5年前の過去」は5年経って「10年前の過去」に変化し、
美化されたり、
今の自分が受け止められる形に変わったりする。
金沢はたいがい曇りか雨。
これが僕のふるさと金沢。
この曇り空の下に僕の過去が散らばっているんだなって。
自分が子どもを育てるときのためにちょっと頭の片隅に置いておこうかな。
おしまい。