現代の食医 食べて飲んで生きる毎日

長野県で料理人/医者をしています。フィレンツェで料理人してました。

「遊び」の中に旅をみつけ、旅の中に「遊び」を再発見する

Buongiorno.

「遊び」について改めて考える機会があった。

周囲から学ぶ大人の「遊び」は、

飲み歩くことやアウトドアに出かけるなど、

仕事の時間以外の行為を指しているかのように感じていた。

バレルサウナという日常の中に表れた非日常の時間がきっかけになった。

「遊び」とは真に何を指すか。

私にとっての「遊び」である旅とは何か。

それらの本質は、「新しい」を見出すことではないだろうか。

 

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珍しく「欲しいもの」ができた

 

これまでの「遊び」の経験をふり返ってみると、

私の場合は旅こそが遊びの時間になっていた。

その日その日を特に事前準備もせず進んでいくのがスタイル。

だからいつも、何が起きるかは分からない。

瞬間がいつも「新しい」。

誰かと会う予定は先に決まっていることがほとんどで、

それまでをどう過ごすかはその時次第で、即興(セッション)性がある。

セッションの連続に夢中になって、

いつも寄り道しすぎて電車の時間がギリギリになり、

見知らぬホームを走り回りがちだったりする。

 

イタリア料理留学時代は各地を1人で回り、

思い出の出会いもあれば、九死に一生を得たことさえあった。

新型コロナウイルスが世界で感染拡大を始めた頃はスペインで旅をしていた。

毎日スマートフォンで世界のコロナ事情を調べて、突然やってくるであろう緊急帰国の瞬間を判断し続けた。

スペインを北から南へ移動しコロナから逃げながらその日を楽しむ。

あの時は本当に楽しかった。

「新しい」に溢れた旅の中で、

コロナによる世界の毎日の「新しい」を感じ続けた。

あの頃をふり返るとき「地球で遊んでいた」という言葉が自然と湧き出てくる。

 

昨日過ごした初めてのバレルサウナの時間。

初めてのメンバーで一緒に入る。

「新しい」経験に胸が躍った。

そのとき、自己の意識次第で何もかもが「遊び」の中に包含されていくことを知った。

初めての場所に行くこと、分からないことをするのは「新しい」の連続だ。

「旅」即ち「新しい」。

「新しい」即ち「遊び」。

「新しい」によって、旅と遊びはゆるくつながっている。

「遊び」は旅であり、旅の中に「遊び」が見出される。

 

「遊び」に立ち返って考えると、行為そのものは問題ではないことが分かる。

その時その時のセッティングが自分にとって「新しい」と感じられるものであるかどうか。

今日入るサウナで考えることは、以前とは異なる。新しい。

登る山は一緒でも、メンバーが違う。新しい。

その時訪れるまったく新しい瞬間を「新しい」と喜べること。

 

One’s destination is never a place, but a new way of seeing things. ーby Henry Miller

目的地というのは決して場所ではなく、物事を新たな視点で見る方法である。 (アメリカ人小説家 ヘンリー・ミラー

 

この言葉は旅の醍醐味とも考えられがちな「移動」そのものが問題なのではないことを教えてくれている。

日常は新しさ、即ち遊びと旅に溢れているのに、

残念ながら人はそれを意識することができない。

意識できないという事実を意識をすることから、

新たな視点を手に入れる第一歩を踏み出せるのだろう。

 

Buona giornata.