現代の食医 食べて飲んで生きる毎日

長野県で料理人/医者をしています。フィレンツェで料理人してました。

すべてに感謝することはできるか

Buonasera.

前回は勝手に「自分の話」をしました。

文字通り自己中心なお話。自己中心、とはちょっと違うと思う。

留学ブログなもんで、

今日はコロナショックで留学に行けなかった人たちの話から始めます。

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今日はこれまでで1番うまくいったんだ〜。

この度の新型コロナウイルスの流行拡大とそれによる影響拡大で被害に遭われた皆さまに、心よりお見舞い申し上げます。

一つの表現の場としてこの記事を使うことをお許しいただきたく存じます。

「すべてに感謝することはできるか」と先にテーマ兼タイトルを決めてしまい、

思考の世界へ問いかけに行きます。

 

僕は官民共働海外留学支援制度である「トビタテ!留学JAPAN 日本代表プログラム」の11期生として留学に行っていました。

中断して帰ってきた今も僕は1人のトビタテ奨学生であり、

これまで同じ制度を使ってきた8000人以上の若者のコミュニティの仲間に入れていただいています。

現行のトビタテは13期までで終了することが決定しており、

4月は13期生の1次書類の選考が終わる頃でした。

4月17日のことです。

13期生の選考自体が打ち切りとなりました。

たくさんの13期生候補が1次書類を大変な思いをして作り上げ提出したところで、

「トビタテ13期」という概念が消えてしまいました。

10期に落ちて11期でやっと受かった僕みたいに、

12期は落ちて13期にリベンジをしている人もいたでしょう。

13期の1次結果を待っていた学生の気持ちを思うと胸が苦しくなります。

留学への出発が2020年に入ってからだった11期生や

出発を控えていた12期生は、

満足な留学に行けていないとはいえトビタテ生である事実は変わりません。

この巨大なコミュニティに所属していることだけで十分すぎる価値があります。

存在しなくなった13期生。

採用予定だった400人という新しい人たちが入ってきて、

その中にはきっと圧倒的に面白い人が混ざっていて、

びっくりさせられて自分が磨かれる。

これを楽しみにしていたので残念だ、という感情もあります。

 

いま対処しなければならない課題は山ほどあって、

これから長い時間をかけて再構築しなければならない物事は天井知らずなのは百も承知の上で。

コロナ後の世界で学生が留学に再トライできる物理・心理的準備を整えることは、

混乱の種があちこちに残る新しい世界において、

日本にその場しのぎでない新しい潮流を生むために疎かにしてはならないことだと考えます。

中断しているとは言え5ヶ月半も留学をすることができた経験から述べています。

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こんなこともあって卵へ謝罪したくなる日もある

身近にいる留学に十分に行けなかった11期生、

出発できなかった12期生、

そして無かったことになった13期生に思いを巡らせた後に、

自分のもとへと思考を戻します。

 

今日は静かな心の在り方を自覚しています。

日々ニュースやSNSに提案、連帯意識、悲しい知らせ、疑い、不満などたくさんの人の感情が溢れています。

読んでしまって心が揺れたり参ってしまうことだってありますが、

今日の心は凪いだ海のよう。その上には満点の星空があります。

 

やらなければならないことは制限され、駆り立てられていないから。

時間があり、やりたいことができているから。

自分はトビタテ11期生でいられるから。

美しい作品に出会えたから。

美しい人の心に触れたから。

良い知らせを受け取ったから。

不自由なく家族と過ごすことができているから。

単純に良いことがたくさんあっただけなのだろうか。

 

大学生活の早い段階から予定詰め詰め、

やらなければならないことを積み上げて日々暮らしていた僕。

家族と毎日食卓を囲むという「かつて当たり前に享受しもう手に入らなくなってしまった(と思い込んでいた)生活」ができるとは思いもしませんでした。

イタリアで影響され留学前に比べて家族の結びつきというものに敏感になっていることもあります。

この混乱の結果、図らずも手に入ってしまった欲しかった時間。

運が良かったんだと思います。

おかげで今、心の中にあるのは「感謝」です。

 

適切なタイミングでその時最善の判断ができたこと、

適切な人に出会い繋がり一緒にいられること、

意思した方向へ自らの舵を切ることができること、

必要なタイミングで作品に出会えること、

もっともっと、自分を取り巻くすべてに感謝があります。

不満も心の中を探れば出てくるとは思いますが、

顔を出す隙がないほどに感謝の念で溢れています。

身近で大切な人が人生の舞台を降りようとしていることにすら、

悲しみではなく感謝が溢れてきます。

「感謝」について仏教もしくは神道的に解釈をしたいと思って検索をしてみました。

出てきたのが色即是空と空即是色。仏教の言葉です。

 

色即是空:この世の全てのものや現象は恒常な実体はなく縁起*によって存在する。

*「他との関係が縁となって生まれ起きる」ということ

 

空即是色:実体がないことがこの世のあらゆるものや現象を形成している。

 

「色」は宇宙に存在するすべての形ある物質や現象。

「空」は恒常な実態がないこと。

人間は目の前に起こる事象に意味付けすることで意味を見出している。

つまり意味を付けなければそこには何もありません。

 

ある現象(色)に気付き意味を付ければ、縁や幸せという色となる。

ある現象(色)に気付き意味を付ければ、憎しみや疑いという色となる。

しかしその両者に意味を付け無ければ、そこには何も存在しません。

 

心が動くを意味する「感」に言葉を放つを意味する「謝」で感謝。

ある現象(色)によって受けた心の動きに言葉を当てて外へ放ち感謝をすることで理解可能な色となる(「縁」も「幸せ」も「憎しみ」も「疑い」も言葉でしかないから)。

感謝には縁や幸せの感謝も憎しみや疑いの感謝もあるということです。

 

このまま話を広げ続けると宇宙空間へ飛んで行ってしまうから戻ってこよう。

生きていれば目の前にたしかに現象(色)があります。

色はあなたの意味付けに依るものでしかない。

その意味付けをするあなたの感性は、

ここまでの人生で積み重ね習慣としてきたものでしょう。

つまり後天的なものだと言いたい。

だから僕だって全く同じ色を受けて心が荒れたりすっかり凪いだりします。

自己の在り方次第で感謝も色も変わってしまうということです。

 

「すべてに感謝することはできるか」をテーマで始めて、

「感謝を忘れなければ心穏やかに〜」とか書くのかと思ったら、

人は放っておいても常にすべてに感謝しているってことになりました。

その感謝が縁や幸せでもあり、憎しみや疑いでもあるということでした。

だからこの人生を生きるんだったら

『すべてに「どんな」感謝をすることができるか』

ってことなんだろうと思います。

分かりやすい言葉にして伝えることを放置したといえばそれまでですが、

これ以上言葉にするのも陳腐で楽しくないという気もしてしまうので止めてみます。

仏教について正しい情報源から学んだことは無く、

きっと「正しい」「間違っている」の観点からたくさんのご指摘はあるかと思いますが、

それもまた色ということでこの場では煙に巻かせていただきます。

この人生で学んでいきたいと書いていて意思しました。

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この人生初の卵焼きが生まれた瞬間(第1号)

 

寝る前に読ませてしまっていたらごめんなさい。

考えがまとまらなくて寝れないなら、

とことん考えてみるのも良いよって友人が言っていました。

良い夢を、だけが別れの言葉じゃないんですね。

良い夜を。

Buona notte.