現代の食医 食べて飲んで生きる毎日

長野県で料理人/医者をしています。フィレンツェで料理人してました。

「これしかない」と信じ、僕は血を流し、何かを守った

Buonasera.

新刊の本屋さんが近所にオープンした。

大変お世話になっていること、口べたな僕は行動で伝えられたらなと、開店に合わせてお邪魔してきた。

本に囲まれて過ごす時間で「就職活動失敗」という事故に対する気づきがいくつも生まれ出た。

 

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「『これしかない』となっている時が1番危険だと思う。」

自ら述べてきたことだ。

世の中には無限の選択肢があって、本来的には誰もが自由に選び取ることができる。

その中で僕はある1つの選択をした。

その選び方が、まさに「これしかない」だった。

 

「これでもいい」があったはずだろう、という話ではない。

妥協はそれこそ必要のないもので、不本意な選択を自ら掴むほど人生はヒマじゃない。

僕は足を運び、体験した。

空気を、人を、環境を経験し「これでもいい」「これではない」を除外していった。

その作業にかけた莫大な時間の積み重ねによる、妥協の無い選択をした。

 

しかしここに実は妥協が入り込んでいた。

就職先候補がたくさんある中で、「これしかない」その1つだけを選択し、希望を出した。

全てを除外しきったとき、「これしかない」以外の選択肢は僕の中に、もはや存在しなかった。

それ以上を見つける努力をしなかったからだ。

探し歩くことを妥協無く積み重ねれば「これしかない」というあの時の精神状態を回避できたし、今ごろこうなっていなかっただろう。

 

「これしかない」と信じたのは、決意の弱さからだ。

人生に対する決意が揺らいだ。

その人生の隙に、必要でない「妥協」が入り込んだ。

そして僕は血を流す結果になった。

正直、ものすごく痛い。

妄想と妥協に囚われていた自分の甘えが結果になって表れたことが、とてつもなく痛い。

僕は確かに人生に妥協していたんだ。

 

事故の中で見つけられたものがある。

血が流れ、失血死した人生。

あのまま選ばれてしまえば気づかなかった「これしかない」という囚われと、探し歩き選択し続ける人生を避ける「妥協」。

死んだそれらの血の池の底に、確かに残ったもの。

痛みのおかげで守ることができたものがある。

この人生だ。

いまだ傷跡は深い。

しかし、誤った方向へ進み始めていた人生に再び目を向けるには必要な傷だった。

結果論でしかないが、「これしかない」という状態から、何かを守った。

人生のもつ無限の可能性、最後まで捨ててはいけないプライド、妥協しない心。

「これしかない」に乗って事故を起こし、今もう一度人生に向き合っている。

 

危うく哲学を失った人生を歩むところだった。

僕の言う哲学とは「〇〇が言うには」という類のものではない。

その説明を必要とするのは知識人だけだ。

広く遠くへ届く声とは、ただ真っ直ぐ人の心に届けられる透き通った声だ。

そんな遠くへ真っ直ぐに届く人生の哲学を守ることができた。

流した血と、死んでいった人生に感謝している。

 

改めて書くが「これしかない」という状態は人生において非常に危険な状態だ。

もうすぐ大きな事故が起きる可能性がある。

この人生に対する警告に、引っかかりを感じる人は大丈夫だ。

もう事故が起きるところまで来ているかもしれないが、大丈夫。

事故の後に再び立ち上がる力のある人だからだ。

 

何も感じない人の多くは、何も感じないフリをしている。

「これしかない」にしがみついて動けなくなっている。

そこまでいってしまえば事故は起きない。

でもそれは、あなたの人生から離れていく選択になっていることを知っていてほしい。

 

今回の事故で失ったものはたくさんある。

それらはそうされるべきだった。

失っていいものだけが、手放すべき人生とともに死んだ。

残されたものを見つめよう。

手元に残った捨ててはいけないもので、もう一度組み立て直すチャンスがやってきたんだ。

手放したあとの空間には新しい創造が生まれる。

もう次が芽吹いている。

この芽を妥協無く育てていくことが、今この人生のチャンスなんだ。

 

La vita è bella.

Buona serata.