現代の食医 食べて飲んで生きる毎日

長野県で料理人/医者をしています。フィレンツェで料理人してました。

自分の戒律

ひとりになって罪を消そうとしても

自分の戒律の罪は消せない

人は誰も罪人だから

覚えてきたものに捕まえられている

尾崎豊「太陽の瞳」)

 

Buongiorno.

緊急事態宣言が明けて、世の中が明るく感じる。

ますます明るさが増すニュースを見て、この明るさすらコントロールされているものだと感じずにいられない。

 

20代の今に、もどかしさと美しさを覚える。

淀みや滞ったものに覆い尽くされ、支配される。

その支配から逃れようと必死に生きている。

今ふり返れば、10代は素晴らしかった。

20代は少しだけ余裕ができてきて周囲がよく見える。

他者の在り方を見つめると、ますます素晴らしきこの世界を感じられる。

 

話し始めた瞬間に悩みが見える人、

溢れ出る悩みに必死に蓋をしながら話す人、

悩みに自覚しているのに目を背けようと努力する人、

自らと向き合い始め、一歩先へ歩み出す人…。

 

どの人も人間らしくて、美しい。

悩みすら包含した人間の在り方に向き合おうという姿勢が見えるとますます美しい。

美しいという表現では言葉にしきれない何かがある。

人生を0歳から今までで受け止めていこうというような気概に感動する。

 

生まれて今日までに培ってきたもの。

親をはじめ周囲から受けてきた愛、受けなかった愛。

受けとってきた教育や生き方の情報。

社会が提示する人生の当たり前。

それらをかき集めて錬成した、自分の中の鎖。

時が来たときに鎖をはずそうと努力し始める。

それが20代なんだ。

10代は鎖の存在に気づけないから、なぜ自由に身体を動かせないのか分からない。

 

あまりに重たくて持ち上がらず、1人では鎖から抜けられない。

その時、周囲に助けがあれば身体の一部分だけでも抜けられる。

片足だけでも自由になれば、次はどの部分を自由にしようかと考えることができる。

しかし、助けもなく、鎖に気づく機会もなければ、20代でありながら10代のようなもがき方を続けることになる。

鎖に気づきながら、縛りつけられた状態にしがみつこうという姿勢が見える時もある。

もどかしさが私を襲う。

 

自らつくり出した鎖。

自分の戒律を乗り越えるためには。

「自立した個」の誕生は痛み無しには実現しない。

 

人生が100年続いていく。

痛みを経験しない人生はあり得ない。

その痛みを引き受けていく準備は、本人が動き出すことでしか始めることはできない。

 

Buona giornata.