「料理」について「ひよっこ料理人」が想うこと②
Buongiorno.
ちょっとやらなきゃいけないことから離れてぷらぷら人生を謳歌中。
イタリアの雰囲気を日本に持ってきているお店、貴重です。元気出る。
料理についてお仕事する中で新しい発見があったので書き記しておきます。
このシリーズの①はイタリア時代に書いたんだった。
生意気なこと書いてると思います。ぜひ併せてご覧ください。
最近は、声をかけていただき出先で料理を提供する機会が増えてきました。
嬉しいことです。
ありがとうございます。
いくらあっても困らないので、どんどんお願いします。
食事があるところに人が集まる。
家庭だって、飲食店だって、パーティーだって、メインにはならなくとも食事がヒトの営みにおいて、場所と時間を支えている。
人が集まるから食事があるというより、食事があるから人が集まるという順番だと感じます。
ともに食べることは、思っている以上に人間として生きていくには大事なことなんだ。
僕の料理がその空間づくりのお役に立てていることは、ひよっことは言え、料理人として嬉しいことです。
だからこそ「食医」として何を提供できるのかをじっくり考えてアウトプットしていくフェーズに入ろうとしています。
僕はいち料理人だけど、一介の料理人である必要はどこにもない。
身体の健康に直結する医学・栄養学目線の提案。
心の健康、社会的健康を支える共食の価値の提案。
ひるがえって、孤食・個食への問題提起。
ぼくが食医として料理を武器に行うことが、常にシャープで確信を突いて問題に切り込んでいくように。
イベントにおける出張料理、プレゼンテーション、日本酒ペアリングワークショップ。
たくさんアウトプットした3月を経て、さらに新しいチャンスもいただく中で、アウトプットの質を常に高め続けられるように自分を整えていけるように、心の栄養をたくさん摂りたいこの頃。
誰かと一緒に食べる場所をつくる僕が、誰よりも一番誰かと一緒に食べたいんだな。
なんで入院患者さんって一人で食べる前提なんだろ、とか実習しててふと思います。
病院食がまずいというか、食べることがデザインされていないことがまずい。
つぶやき。
料理が場所をつくる。
キッチンから場所をつくる。
場所が人を健康にする。
無機質なものじゃない、血の通ったものを出していくんだ。