現代の食医 食べて飲んで生きる毎日

長野県で料理人/医者をしています。フィレンツェで料理人してました。

「料理」について「ひよっこ料理人」が想うこと①

Buonasera!

カンノーリ作りむっちゃむずいです、くわっちです。。

生地を型に巻きつけるのも、

揚げ具合バッチリで油から出すのも、

経験が必要ですね。

失敗できる料理実習のうちに経験を重ねよう。

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さて、これから何度か書くことになると思います。

「料理」についてのエッセイ。

 

現在の僕のステータスは

「現場経験なし、料理学校に通う料理好き素人」

です。

今後ステータスを変化させながら②、③…と書いていきます。

今回は最もプレーン(曰く付き、思想強め)な思考で書ける回だと思います。

 

「料理」って一体何だろうか。

いつも思いつくのは

「私、料理できません」

という人たち。

彼らは「料理」が本当にできないんだろうか。

 

ぼくは料理を

「人間が太古の昔に発明したアートのひとつ」

と捉えています。

まず人は、相当昔に火を使い食べものを料理することを発明しました。

あるものを用いて、それまでなかったものを作りだす行為。

それは発明でもあり、思想が加われば芸術にもなり得る。

生きるためには食が必要。

衣食住といいますね。

必要な営みの中に美を見出し哲学を見出す。

人間が持つ感性というものの仕業でしょう。

 

絵を描く、彫刻を彫る、音楽を奏でる、歌を唄う、文字を書く…。

他の動物にはない「アート」という営み。

無いと人は生きられない。

重要なものです。

 

一方、食は。

食べないと死ぬ。

生きるために食べる我々。

人間が人間であることを始めた時より前。

ヒトがヒトであることを始めた時から、

生きるための食があり、

その中に「料理」があったはず。

むしろ料理をもってヒトは人間になったのかもしれない。

 

料理はものづくり。

そこに存在しなかったものを作りだす営み。

太古の昔から長く長く続いてきた。

だれが「できない」ことがあるだろうか。

「料理ができない」?

逆にそれはどういうことだろうか。

 

日本人は他人と比べるのが上手です。

「料理ができない」あなたは、

誰と比べて料理ができないんでしょうか。

考えてみてください。

 

待って。

誰と比べる必要があるんでしょうか。

プロ?

お母さん、おばあちゃん?

「料理上手」な友だち?

 

だから。

比べなくていいんだって。

ぼくはそれこそが「表現(=アート)」だと思うから。

あなたが世の中にない新しいものを作り出す。

そんな素晴らしい営みが毎日の生活の中にあるのに。

なぜ「(〇〇と比べて)できない」といって、

蓋をしてしまうの。

 

きっと、「上手に」できる人たちにも問題があるんだ。

いつからか料理をしてお金をもらう「プロ」が現れて、

一般の人より得意な「料理上手」が目立つようになって、

得意げな顔して料理するようになった。

評論家が現れた。

人の料理に口出しするようになった。

(僕もそうかも)

当たり前の営みである料理が窮屈なものになった。

(僕もそうかも)

 

あなたの

「できない」「得意じゃない」

は、どこから来ているんだろう?

 

僕はこの留学を通して証明していきたい。

料理することのすばらしさを。

自分で時間を割いてつくったものを人と食べることのすばらしさを。

「素人」が、好きな「料理」をプロのように追い求めると何が見えてくるのかを。

いかに料理人や批評家が日本で周囲に悪影響を与えているのかを。

 

見直そう。

自分自身の「食」を。

料理はあなたのもの。

誰かと比べる必要なんてない。

 

Ciao, buona notte.

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