現代の食医 食べて飲んで生きる毎日

長野県で料理人/医者をしています。フィレンツェで料理人してました。

コロナウイルスからドーパミンにつながった

Buonasera.

なんだかのんびり生きてます、くわっちです。

インプットを増やす時期なんでしょう。

f:id:kamoshite_kuwa:20200227122517j:plain

ランチはチャンス、自分のまかないは自分で鍋ふる

さて、イタリアもコロナウイルスで大変。

今日はBARで

コロナウイルスを1本」

ってメキシコビールのコロナ頼んでるブラックジョークお兄さんいて笑いました。

でも、笑っていられない状況ではあります。

 

現在のイタリアのコロナウイルスに関する状況(ピックアップ)

・欧州の感染中心地となっておる(確認されてる数では日本越えの延べ患者数400人)

・経済の中心ともいえるミラノがあるロンバルディア州では大学も含めて学校が閉鎖。校外では外出の制限がかかっている町が12個くらい。

・いろんなイベントが中止。とっても有名なヴェネツィアのカーニバルも25日の最終日を前に中止されちゃいました。

・ウイルス拡大を受け、ミラノがあるロンバルディア州ベネチアがあるヴェネト州ボローニャがあるエミリア=ロマーニャ州が外務省の示す危険度レベル「1」対象に。

 

今週はレストランの客入りも悪いし、

中心地を歩いている人がそもそも少ない。

観光客が増え始めたと思った月曜日からは打って変わって、

サーッと人が引いてます。

 

以上、現状報告。

ここからはコロナウイルスに伴うアジア人差別について。

世界に散らばる周りのトビタテ生でも何かされた人はいるみたい。

僕自身は先々週にベネチア

「コロナ!(ニヤニヤ)」

てインドとかのほうの学生らしき男性に言われたかと思ったら

コロナウイルス!(ニヤニヤ)」

ってイタリア人男性に立て続けに言われてました。

ヒマか。

2日前にはスーパーでがきんちょに

コロナウイルス(ボソッ)」

ってつぶやかれました。

まあこの歳なら学校でみんなが言ってて影響受けちゃって、

自分で考える能力が無くて言ってるんだろうから許してやろう。

 

まあ、生まれて初めて人種差別の対象になりました。

イライラしましたし格好良く言い返せたらイイのにとか思いましたが、

彼らと肩ならベて生きたって僕のdignity(尊厳)が損なわれるだけなので、

無視が1番と相手にしませんでした。ムシムシ。

で、それだけで終わらないからブログにしております。

こんな経験、このタイミングで留学してるからこそできたわけです。

ここから考えることがない僕じゃないわけです。

 

「きっと誰もが、いまだに人種差別してる」

 

今回のケースはアジア人に対して無意識にも差別意識を持っている人たちの意識が表出化しているのでしょう。言葉にするなら今がチャンスと。

で、自分のことは棚に上げずに正直に書きます。

僕の場合、アフリカ系のお兄さんの集団と中国人の旅行客集団に対してやってるなと。

見かけたときに、

「あ、いるな」

っていつも意識的に認識してる。

意識的に認識してる時点で、

身構えたり、冷ややかな目を向けたりしてしまっているはず。

相手がそれを感じ取ってる可能性にも気づかずにね。

あと、ヨーロッパ系の集団がいてもそんなことは思わない。

これって恐ろしいことで

「白人は差別されない」

「それ以外の人は差別されうる」

っていう通念ができあがってしまってるんじゃないだろうか。

知らず知らずのうちに当たり前として擦り込まれているんじゃないか。

僕はそうなんですけど、あなたはどうですか?

 

みんながhuman rightsを叫んで、

we are the worldって歌ってるように見えて、

「まあ、おれらは差別の対象にはならないから」

と高をくくっている側がいたり、

対照的に

「結局自分はジョークのネタにされたりイヤな目線を向けられるけど仕方ない」

って諦めを持って生きている側がいる気がするのです。

 

これは今のレストランにいてうっすら考えていたことに着想を得ています。

お皿洗いのスリランカ人のアジット。

6年も7年もここで働いてるベテランさん。

(イタリアのキッチンではお皿洗い専属の人がいるのがわりと当たり前。

スリランカとかインドとかアフリカ系の人が雇われてることが多いです。)

イタリア人のコックがたまに肌の色とか出身について彼にジョークを言ってることがあります。

日本では一般的にそもそも日本人以外と一緒に働くことは少ないはずで、

こういう場面に遭遇することがなかった。

「なんだかなあ」

ってのが僕の正直な感想なんだけど、

それを言われたときの彼が「しゃあねえな」みたいな流し方なのが気になってました。

 

それが頭の片隅にあって今回のコロナウイルスによる差別を自分が経験して、

「差別されることが自分の中で当たり前になってしまっている人たち」

がいるに違いないと思うようになりました。

で、自分が間違いなくその犯人になってるんだって気づかされたわけです。

 

人種差別に限らず、人は差別やら区別やらして生きてる。

学校生活でも職場でもコミュニティが存在すれば大なり小なり起きてる。

欧州の学校にはいじめはありません!とか聞くことあるけど、

「ありません」は大嘘だろう。

海外映画でも題材になってるよ、いじめ。

 

今回の件で他の国に留学してるトビタテ生が、

自身が抱えたモヤモヤを文章にしてくれていました。

「攻撃的になるほうがラクなのはなんでだろう」という彼女のキーワード。

そこから着想を得ました。

そもそも人は誰かに攻撃して心の平穏を保っているんだろうと想像し、

せっかく医学生なので調べてみたら(というかすでに勉強したことを復習しただけなんだろうけど)、

誰かを虐げることでやっぱりドーパミン(脳内麻薬ってやつ)出るようだ。

そう。差別はしてる瞬間、気持ちイイことなんだ。

 

決して肯定するわけではないですよ。

これはあくまで「ヒト」のシステム上の話。

「ヒト」という動物はそういう風にできているって話。

でもぼくらは「人間」でもあるわけです。

すぐ手に入る快感を上回る理性を発揮して、

もっと良い関係性の構築や、

もっと良い未来を創造できるのが「人間」だと信じています。

 

we are the worldにはほど遠い。

争いは未だになくならない。

21世紀になって便利なシステムに溢れる世の中になっても、

ヒトはヒトのシステムを越えていけない。

 

なんか、悔しいなあ。

無視しようとか上で書いたくせに、

道を歩くとき

「何かされたらどうしよう」

って、びくびくしながら歩いている自分が確かにいることも悔しい。

 

世界のコロナウイルスの感染拡大が一刻も早く収束することと、

この機会であなたが得る経験がwe are the worldへの一歩になることを祈ります。

良い夢みれるだろうか。

Buona notte~.