こんばんは。
「こんばんわ」じゃなくて「こんばんは」。
日本語っていいですね、くわっちです。
前回投稿時点ではスペインにおりましたが、
コロナウイルス、否、
「コロナウイルスへの人間の対応」という黒い手に追いかけられ続け、
3月16日朝8時半、ついに日本に帰国しました。
充実のスペイン縦断でしたが、
最後のマラガは名所が閉まり人は少なく不完全燃焼。
危険と判断し諦めたバルセロナ、
時間が足りず断念したバレンシア(パエリア。今回パエリア食ってねえ!)。
いつか必ず再チャレンジです。
思わぬ形で日本に帰ってきました。
まったく実感がわきません。
強いて言えばチェーンの居酒屋で399円の生ビールで乾杯した瞬間が、
「あ、オレ日本帰ってきたな」
のハイライトでした。
「イタリアの事態終息をスペインおよび他のシェンゲン協定国から見守る」
「日本に帰国する」
の2つの選択肢。
頭の中の1割しか日本帰国を想定していなかったため、
いざ帰ってくると必要なものが割と無い。
まあ無くても生活はできるんですけど家を出たときの判断ミスが悔しい。
今日は「見えないものを信じる力」について。
フィレンツェを訪ねてきてくれた大学の後輩との会話から
「目の前の瞬間を楽しめるイタリア人」
というヒントをもらい考えていたことです。
イタリア人は今を純粋に楽しんでいる。
でもその先のことまではあまり考えていない。
身近なイタリア人が2人とも
「イタリアの問題点は『もっと良くなろうとしないこと』だ」
と言っていたこともありなんとなく納得。
(みんながみんなそうじゃないと思うけどね)
一方、日本人は先のことを考える傾向はあるけど、
先を考えすぎて今を楽しみきれない。
こちらは想像に難くないことですね。
イタリア人と日本人の良い部分だけを持てたら最高かな。
「先のこと」ってまだ目の前には現れていません。
「その時にならないと分からないこと」を考え続けることは、
心の健康上よろしくないです。
僕はかなり心配性で、
昔はもっともっとひどかったもんで、
「その時にならないと分からないこと」でいろいろと悩んでた1人です。
(瀧本哲史さんの「僕は君たちに武器を配りたい」を読んで克服した覚えありマス)
上に書いたようなことで思い悩むのはオススメしないけど、
「先のこと」を考えられる能力自体は素晴らしいものです。
能力は使い方次第。(X-menにHeroesにヒロアカ。能力モノ大好きです。)
「こうなったらどうしようか」
「ああなった場合こうしたら上手くいくかな」
って考えて信じられる力があるから、
状況を好転させ、
失敗を未然に防ぎ、
良いものをさらに良くしていける。
そもそも全ての人にこの「見えないものを信じる力」は備わっています。
宗教と哲学は人間と切り離せないもの。
目には見えないものを強く信じることで、
時には苦しいときを乗り越え、
時にはさらに高次元の思考を手にしてきたのが、
人間の歴史なんじゃないかな。
僕には夢があります。
「美味しく健康な食事で元気に生きられる社会」
を実現させること。
今の僕には理想郷のようなものがぼんやりと靄がかって頭に浮かぶ程度。
まだまだイメージは足りていない。
そこへ向かう道の途中で身を置くであろう状況や取ることになる手段が、
足場として少しずつ見えるようになってきたのが最近。
知識を手に経験と思考を重ねることで、
足場が次々と浮かび上がってきて、
いつか目指す社会に辿り着けると「信じている」。
ペルーという国を変えた料理人「ガストン・アクリオ」。
彼のドキュメンタリーを観て、
オステリアフランチェスカーナのマッシモ・ボットゥーラや、
ノーマのレネ・レゼピといった世界で注目される料理人たちは、
「料理人」ではないことを知った。
彼らは哲学者であり、
アーティストであり、
活動家であり、
たまたま一般に理解しやすい職業の表出が「料理人」だったに過ぎない。
ガストン・アクリオの言葉を借りて。
「世界を変えられるのは"できる"と信じて疑わない、情熱を持った人々だけだ」
2週間はコロナウイルスの発症リスクを考えて人と会うことは避けています。
ここで本を読み手に入れた知識が次の足場を浮かび上がらせると信じています。
読書にもエネルギー要るからちゃんと寝よう。
おやすみなさい。