現代の食医 食べて飲んで生きる毎日

長野県で料理人/医者をしています。フィレンツェで料理人してました。

人に向けたら危ないもの

Buonasera!

クリスマス(イタリア語でNatale)が近いです。

世界中の飲食店がヒイヒイ言っている今日この頃、

同じくヒイヒイ言いますくわっちです。

ヒイヒイ。

f:id:kamoshite_kuwa:20191217093712j:plain

お店の前にかわいいツリー登場

 

 

今日も反省が多かったです。

できることが多くなると、

それだけ自分のやることは増えて、

失敗して自分がショックを受ける確率も上がります。

(一方で「できた!」に出会える確率も上がるのです)

常に冷静に堅実に次へ次へ動くのが「職人」的仕事なんですね。

常に変化を求めてしまう人間なので、

今は真逆の仕事に挑んでいるわけです。

「いつも通り」という自分にとっても周りにとっても良い心地の環境をつくれるという点で、

変わらず生活するほうが落ち着く人が多いのは当たり前のことだと気づかされた。

でも自分はやっぱり、常に変わり続けたい人間です。

 

 

 

そんな今日、ふと思ったこと。

 

切羽詰まると頭も身体も熱くなって、

自分のコントロールが効きづらくなる経験が、

誰しもあるはず。

僕ならイベント運営のとき、バイトの忙しい時、そして今インターンの最中かな。

内側から自分に対する憤りの感情が上がってくる感じ。

そして時に、他人に対しての負の感情ってこともある。

自分に対する憤りが転じて他人に対する負の感情に変換されることもある。

 

これをコントロールするって

「忍耐力」でもないし(ただ耐えたらあとでつらい)、

「大人になる」ってのとも違うし(歳取ってるからってコントロールできるわけではない)、

そう簡単なことではないことはよく分かる。

つい他人に向けて出してしまったりするから、いざこざが起きる。

 

でもやっぱり、人に向けるのは危ない。

どう危ないって、

向けられた人にとってジワジワ残る傷になり得るから。

それで向けた側はすっかり忘れるからワケが悪い。

 

火器、銃器、刃物は人に向けてはいけないもの。

コントロールされてない感情も、同列なんだな。

 

こういう思考をすると、

昔受けた気持ちよくない想い出が蘇っちゃうし、

他人にしてしまったあの瞬間を思い出して心が痛いし、

多分僕は覚えてないけどされた側は覚えてるものもあって、それを想像してしまい吐気すら感じる自分に対する気持ち悪さが胃のあたりを這いずり回る。

ぐるぐる思考が渦巻いてしまう。

 

自分のものも、

他人のものも、

目を背けたくないからこうして文字にする。

人間だけが感情をコントロールできるはず。

はき出してしまう自分も、向けられてしまった自分も。

そのために必要なのは宗教か、信念か、経済的余裕か、育ちか、まったく別のものか。

 

僕のこれまで24年間の人生で、

僕によって刃物のような感情を向けられた人が絶対いると思う。

料理失敗したとか、

フライ落としたとかに並列できない、

取り消せない人生の失敗だと思った。

 

次を二度としないように。

なくならない見えない暴力を受けてしまったときに上手に受け止め受け流し消化できるように。

映画や本で思想に触れるのが今のところの僕の解決策かなぁ。

「自分より大きなものに触れる」とちっぽけさに気づける。

ありのままの姿も、

人の暮らしの幸せも、

小さすぎるんだなって思うと謙虚になれる。

ああ、やっぱり彼か…。

「永遠の胸」ぜひ聴いてみてください。

https://www.youtube.com/watch?v=0ty92QCumDY

なにか良い方法をご存知の方はコメントいただければ嬉しいです。

 

 

あなたの今日が心安らかでワクワクに溢れる一日でありますように。
Buona notte.