現代の食医 食べて飲んで生きる毎日

長野県で料理人/医者をしています。フィレンツェで料理人してました。

自らの言葉で語る

Buonasera.

北海道7年目にして富良野のラベンダー畑を経験しました。

花は季節を伝えてくれる。

旬の食べ物を語ることに合わせて、時期の花も学んでいけると、世界の理解が深まっていきそう。

f:id:kamoshite_kuwa:20210725134326j:image

 

分かってはいるけどできないことがある。

指摘されても変えられないことがある。

変えたいけれど変われない。

まだその時期じゃないんだ。

 

変わらずにはいられない時が来る。

まずは事実から目を背けないこと。

 

語る言葉が湧いてこない。

湧き出るはずの水源が枯れている。

水を貯める努力をしていない。

穴を掘りはじめていない。

穴を掘る場所すら定まっていない。

そもそも私が穴を掘る理由が語られていない。

語るための言葉が足りていない。

その言葉を紡ぐための土壌が準備できていない。

 

その事実から逃げないこと。

自らの中に、自らの言葉として課題が設定できた瞬間、次への進化は始まっている。

 

13年前から自覚し始めた生きづらさの正体は、たしかに「不平等・不条理」に向けられていると知った。

兄貴がバカにされた時も、自分が抗えなかった日も、友だちが下に見られたときも、見えない貧困への関心も、スリランカで得た憤りも。

そして食事の場にこだわるのは、誰もが平等で幸せにいられる可能性を秘めているから。

病気を治すことや栄養満点の食事を続けることは、多世代が幸せな食卓を囲む社会の十分条件ではない。

周囲からは栄養で語られることを求められる。

簡単だから、分かった気になれるから、すぐできるから。

理解できる。

でも僕には関係ない。

食事の場のもつ奥深さを伝えるのは簡単な仕事じゃない。

だからこそやるべきなんだ。

 

私は未熟である。

もっと熟すことができる。

蝶には程遠い。

だから蛹になることができる。

「私は大丈夫。あなたは大丈夫。」

今の私が高校生に語りかけた言葉は、かつての私に向けた言葉であり、これからの私への言葉でもあった。

 

大丈夫。

僕はホンモノになれる。