「食べること」ができなくなるとき
Buonasera.
「どんなものを食べているか言ってみたまえ。君がどんな人か言い当ててみせよう。」
「美味礼賛(味覚の生理学)」の著者、フランスのブリア・サヴァランのあまりに有名な言葉です。
食べることは、ごく当たり前のこと。
人は日々、何かを口にして、エネルギーを取り出し、生きている。
エネルギーにならない栄養素も、エネルギーを取り出す過程で重要な役割を担ったり、身体の一部になって生命活動を支えたりしている。
今日もまた考える。
「何を食べようか。」
一方で、食べたくても食べることができない人がいる。
食べることが嫌いな人、苦手な人もいる。
大人であったり子どもであったり、老人だったり。
毎日必死に働いていたり、学校に行けなかったり、病院や施設で暮らしていたりするのかもしれない。
食べることが当たり前じゃない人たちがいる。
浪人していた頃。
まだ友だちも少なく、休日の食堂が休みの日は、寮の一室でスーパーで買ってきた惣菜を食べていた。
ある日、醤油をつけた刺身の味がしなくて、精神的な限界がきていることに気づいた。
まずいと思ってすぐに1人で食べることをやめて、友だちを誘って外に出るようになった。
あの時、誘える友だちもいなくて部屋にこもっているしかなかったら、もしかしたら「食べること」に苦しむ浪人生活になっていたのかもしれない。
そんな昔のことを思い出した。
誰かと食べる食事が美味しいということを教えてくれた家族に感謝しよう。
Buona serata.