現代の食医 食べて飲んで生きる毎日

長野県で料理人/医者をしています。フィレンツェで料理人してました。

成功の型をつくること。部活動とキッチン仕事がダブった。

Buonasera.

洗い物で指紋消えて指紋認証できません、くわっちです。

水場の仕事って大変なんですね。

お母さんありがとう。

f:id:kamoshite_kuwa:20191212103952j:plain

Bistecca alla fiorentinaはFirenzeの看板料理。ぜひ美味しい店で食べてほしい。

 

 

昼も夜もお客さんたくさんで、

やることが多くて勉強になる1日でした。

と同時にできないことが露見して、消え去りたくなる瞬間が多かった・・・。

そんな今日は店で経験する「できない」から頭を整理してみます。

 

 

まず僕は頭が先行するタイプの人間です。

(誰が見ても一目瞭然なのでわざわざ書く必要ないか?)

身体が先に動く、とかあり得ません。

すぐ動いてるように見えたとしたら、

その時はすごいスピードで頭の中で計算を終わらせてます。笑

分からないことがそのまま目の前にあると気持ち悪いし、

たとえ自分のアウトプットが上手くいっても「なぜ上手くいったのか」が理解できていないと落ち着きません。

以前「頭使いすぎじゃない?」という主旨の指摘をいただいたことを良く覚えているくらいコンプレックスでもあったりします。

その発言の続きは「(頭使いすぎで)身体動いてないんじゃない?」でしょうから。

頭に偏った人間です。

 

 

次に飲食店で求められる仕事について。

頭で考えたことがアウトプットというより、

手を動かした結果がアウトプットでしかありません。

加えて、

「なぜ」が向こうからやってくることがほとんどありません

あらゆるオペレーションの中に僕の求める理由が見えづらいです。

こうすれば、こうなるから。

現在僕にとって、Aを入れればBが出てくる謎のマシンが飲食業です。

慣れ経験感覚

こんなに理解しづらい分野はない。笑

 

 

現在、できないこと分からないことがたくさんあります。

飲食店のスピード感に慣れようと、

速く早くやろうとすると身体が付いてこなくて結果、上手くいかない。

だからきちんとできるスピードでやろうとすれば「遅い」という結果になる。

だから早くしようとすればまた…。

早くて上手くいくという正解が手に入る兆しがない。

とどのつまり「なんで上手くできないのか」が分からず気持ち悪くなる。

 

 

 

 

 

すっっっっっっっっごいストレス。

 

 

 

 

 

これがひと言「経験の差」で済ませてもらえるならラクだけど。

「経験の差」には理由が存在しない(ように思える)し、

「もうx週間(x=正の数)もやってるのになんでできないの」

と言われたり思われたり 、思われてるような気がしたりする。

 

 

 

 

すっっっっっっっっごいストレス。

 

 

 

今日いろいろやってて感じた

「あれ、運動部っぽい」という感覚。

野球では「こうする」を教わって、

ああだこうだ理由やメカニズムを考えて、

6年ちょっとである程度は「できる」と感じるようになった。

柔道では「こうする」を教わったし、

ああだこうだ考えれる年齢にはなってたけど、

10ヶ月程度の経験では「できる」を感じることはないまま終わった。

 

 

あれ?

つまりは経験の差なのか?笑

 

 

3週間目にして感じているのは

「迷い無く自信持って成功に向かって動ける」ことが

「できる」につながる最短ルートであるということ。

今は何するにしても頭で一瞬

「あれ、どうやってやるんだっけ」

「これで合ってるっけ?」

と考えてしまってるようなのです。

それが時間がかかるとか、きれいにできないといった

「自分で思っているのと違う結果」を導いてしまってる。

 

反対に、

「これならできる」と迷い無く動けるようになっている料理や盛りつけは、

それほどストレスを感じずイメージ通りアウトプットできるという点でも

「迷い無く自信持って成功に向かって動ける」ことが

「できる」につながる最短ルートであることは正しそうです。

頭の中に蓄積された「こうしたら上手くいった」が、

自信と、正しいと思うゴールを示してくれて、

ストレスが減るのでしょう。

 

自分の中に成功の型を作ることが始まりだとするなら、

野球ではその経験を積めたし、

柔道では十分に経験できなかったし、

料理の道ではまだほとんど経験できていなくて分かってない

ということなのでしょう。

あ、結局は料理って運動部だったんだ。笑

 

 

書き終わって分かりました。

「料理=部活動」の証明でした。

運動部にも理論はあって、

理解した上で「理由」が乗っかり工夫することで初めて、

「他人より上手くできる」ようになるのでしょう。

そのために自分の中に型を作り上げないといけない段階があるわけです。

そうか、まだ自分の中に型がなかったんだな。

 

 

こんなこと書くと、

僕の料理に対する

「料理は人類が最初に生み出したもの作り、アートの1つ。

誰にだってできる。

『できない』なんてあり得ない。」

という考えに対して

 

お前できてないじゃないか!

「誰にだってできる」じゃないだろ!

 

という声が飛んできそうですが。

これはあくまで「仕事としての料理」の話です。

「料理」という集合の中の限られた部分において

時間が限られていて

お金が発生して、

経済的生活がかかっているとなると、

料理は部活動になるということです。

あなたが自分のため、周りの人のためにする料理とは、

ちょっと違うのです!

(だからといって部活動的性質がそのままでいいとは思わないです。

みんなが等しくいろんなタイプの「料理」を経験できるようになったらいいのにね。)

 

 

この料理留学をきっかけに、

「飲食物を提供する仕事が現代人に与えている悪影響

についてハッキリ言葉で説明できるようになることもテーマだったりします。

栄養のこととか、

料理作らないでも生きていけることとか、

そこから発生する二次的影響とかね。

僕は飲食物の提供側にはいたくないですよ、やっぱり。

(「店」という形態を取ろうとはしているし憧れはあるけどいずれ必要なくなればいいっていう意味で。

医者がいらなくなればいいと思って医者になろうとしてるってのと一緒。笑)

 

料理はみんなのものだ。

みんなが自分で自分の食べものを用意できるのが1番だ。

時間がなければ上手にサービスに頼ればいいんだ。

飲食物の提供側の視点も得て、

日本で適切な形で動き出すための留学にするんだ。

そう考えていたのを思い出せました。

 

悔しい思いをたくさんして、

一方で型をたくさん手に入れた1日だったのかも。

書き切ってスッキリしました。

よく寝て明日も1日部活動だ!←

Buona notte!