Buonasera.
Piacere, 26年目の私。
人それぞれに人生のペースがある。
26歳でこうして生きているという事実を上下の比較無しに受け止めてあげられるように。
上昇志向と焦りは異なるものだ。
たしかにこの1ヶ月、内側の力を磨き続けてきた。
ブログを書いて思考を外に出すことで、一貫する考えをあぶり出したり思考のクセに近づいたりできた。
人に会うことは、何かを前に進めるためではなく、純粋に様々な価値観や人生に触れるために。
その一方で、誰かに問い詰められたり成果を求められる場面には立ってこなかった。
同じ瞬間に大勢に見られるようなアウトプットからは離れてきた。
「そして、これからどこに向かっていくの?」
寝耳に水というか、聞かれて気持ちの良くない感じがする。
動いたあと「未来を見据えよう」としないことは、人間らしくない、、、のか?
上昇志向と焦りは違う。
人生は前に進んでいる。
後悔のない時間をたしかに過ごしている。
1日の中でもっとできたことはあったはずだと日々ふり返りまた前を向く。
沸き上がってくるような覚悟はまだまだ不足していて(否、自分の中に見つけられていないだけだ。目を背けている)毎日辟易とするし、何か外に向かってやっているかと言われたらそうではない。
まあこうして外に向けて書き続けているわけであって、何もやっていないわけではない。
私自身の「やっている」の解釈が歪んでしまっていることもここで分かる。
ほら、また周りに焦らされている。
現代的じゃないか。
経験を通してしか、この人生を語ることはできない。
これまで、「何かしている自分」は経験してきた。
今、「自ら決めた場所に留まれる自分」を経験している。
留まることで見えてくるものがあって、それを文章に温めて送り出してきたのがこの1ヶ月だ。
立派にやり遂げているではないか。
どこまでも「ゆっくり」にしてみよう。
もっともっと「ゆっくり」に。
そして、もっと先の未来につながるような対話をしよう。
人生はきっと、
自分のしたいことの為にあるんだと思う。
だから、時間があると思う人やまだ何かできると思う人は、
今のうちにうんと沢山、
心の財産を増やしておくといいと思う。
そうすれば、
君が求めてるその夢に、きっとたどり着ける。
(尾崎豊「誕生(約束の日Vol.2)」)
どうか、私の、あなたの、自分の声に耳を澄ませて。
Buona serata.