Buonasera.
食事の場の価値を伝えていきたい。
その場所をもっと良い時間にするお手伝いをしたい。
1人1人がもっと良い時間をつくれる世の中にしたい。
では私自身は食事の場のどこに価値を感じているのだろうか。
①寂しさを和らげる
「僕はたった1人だ」(尾崎豊「太陽の瞳」)
人間は死ぬまで結局孤独だ、みたいな話もあるけれど、寂しいという感情はこの文脈の孤独とまた違う気がしている。
閾値は違えど、ひとりでいる時間が長いと多くの人は寂しさを感じてしまう。
寂しさが習慣化したり強がってしまうと、自分の世界から出て来られなくなることもある。
みんながみんな、自ら外に出て人に会う予定を立てられるわけではない。
食事は生活動線に乗っている行為で、一歩外に出るハードルは比較的低い。
人は日々食べる。
家族でとる食事や、仕事終わり、授業終わりに仲間と囲む食事があるから、人は必要以上に寂しさを溜め込まずに生きていられるのかもしれない。
食事の場をつくって自らの寂しさを和らげることも、他者が外に出て来られる場所をつくって寂しさを和らげに来てもらうことも、どちらも「技術」だ。
伝えていけるはずだ。
②新しい世界を知る
食事を囲むことで他の誰かに出会う。
はじめましての方、友人、同僚、パートナー、家族。
みんな日々変化する。
食事の時間の中でさえ変化している。
他者の新しい一面を知る瞬間になる。
食べる料理や場所を通して、知らない味や文化に出会う。
誰もが気持ち良く過ごすためのマナーを身につける場所でもある。
席に着く前と後で、あなた自身が変化している。
食事の席は新しい世界への入り口になっている。
その先にどんな世界が広がっているか。
この点はホストの力量と、席に着く人たちの努力に依る。
だからこそ食事の場のデザインは他者へ伝えることができ、個々が伸ばしていける「技術」なんだ。
③栄養をとる
結局はここだ。
人は食べものを食べて生きる。
誰かと一緒においしいご飯を食べる。
食事を用意したり準備や片付けを行えば、自分の存在を実感できる。
誰かと囲むことでたくさん食べられるという研究もある。
お腹と心が満たされる。
一度の食事の場の濃度は、心と身体の栄養に直結する。
担える役割は人によって違う。それでいいんだ。
「それでいい」と言えることも「技術」だ。
伝えていける。
今ここでの記録として。
私は今日も変化していく。
食事の場のことを考えながら今日も食事の場につく。
Buonaserata.