現代の食医 食べて飲んで生きる毎日

長野県で料理人/医者をしています。フィレンツェで料理人してました。

疲労、空腹、貧困

Buonasera.

疲労、空腹、貧困。

3拍子揃った困窮。

困窮と惨めさが視野を狭める。

空腹が追い打ちをかけるように思考を制限し、苛立ちや焦り、無力感の回路を回しはじめる。

困窮は口にするものを制限し、その選択肢の限定が灰色の毎日がこれから永遠に続くような感覚を植え付ける。

惨めな食事と惨めな感情を他人に見せたくない。

唯一残ったプライドくらい守らせてくれと、ちっぽけな自分が行動を縛る。

疲労、空腹、貧困。

ひとつだけで問題を起こしているのではない。

絡み合っているからこそ、どこか1点から解きほぐしてあげられるはずだ。

私は食と向き合う。

人と食の歴史(それは生物と食の歴史であり、それ以上でもある)を学び、食と幸福のつながりを世の中に見える形として提示していく。

 

惨めさを覚えた。

人の期待に応えられていないという自らへの惨めさ。

「もっとうまくできたはず」なのに現実はそうでない無力からの惨めさ。

あるはずのない他人の目への不安。

完璧主義の名残。

惨めさが下を向かせる。

視線をあげられない。

下を向いているとさらに気持ちは惨めになってくる。

お腹は空いたけれど、お金にならない仕事を目の前に、今この時間に価値が無いような気がしてきて気持ちが塞ぐ。

空腹を埋めることすら億劫にしていると、次第に苛立ちと焦燥感が登ってくる。

 

この気持ちを振り払う方法はもう知っている。

だからこそ、この感情を大切に書き留めておきたいと思った。

疲労、空腹、貧困。

サイクルが回り始めれば、簡単には抜け出せない。

必要とした人が一瞬でもしがみつけるような食事や、場所があったなら。

私は食と向き合う。

食も医療も、生物の根源である「いのち」を扱うこと。

医療の立場から食の眼鏡で「いのち」を見つめる。

食の立場から医療の眼鏡で「いのち」を見つめる。

これからその淡い、曖昧な場所に立っていたいから、今こうして書いている。

医療者がもつ優しさが、病院の中だけでなく、開かれた社会の中でも発揮されるように。

 

来たるべきときを「主体的に待つ」ことも、覚悟がいることらしい。

座ってないで、泥にまみれて待ってみよう。

泥まみれになってお腹が空いたら、満足するまでご飯を食べよう。

 

Buona serata.