現代の食医 食べて飲んで生きる毎日

長野県で料理人/医者をしています。フィレンツェで料理人してました。

専門とは何か

Buongiorno.

早朝の神社でラジオ体操。

地域がみえてよそ者がスッと溶けていける、地域の人間が外との関わりを持てる、結界の出入り口みたいな場所になりそう。

根が内向的で簡単に関わりをつくれない人間だからこそ、そういう場所をつくれると思う。

 

専門とは何か。

英語でexpert, speciality, professionなど。

そのどれも微妙に異なるように直感する。

 

特定の分野をもっぱら研究・担当すること。また、その学科・事項など。(広辞苑)

 

そもそも医療職は専門性を必要とする。

もっぱら医学・医療について学び、もっぱら医療を担当する。

さらにその中にも専門性がある。

内科、外科、精神科、産婦人科、小児科etc。

内科と外科は消化器、呼吸器、循環器…と分化する。

各科は特定の疾患や体のパーツにさらに専門性を求める。

整形外科は「手」「脊椎」など、小児科は「血液」「新生児」など、精神科なら「うつ」統合失調症」「児童思春期」などなど。

 

7年間の医学生生活の中で、一度も特定の疾患に強い興味を抱くことがなかった。

医師を目指す前に読んだ本に登場する医師のあり方から影響を受けているようだ。

国家を救う、農村のために、宗教と医療、患者を笑顔にすること…。

私が本で出会った医師は、ある一つの疾患や病態を極めた人ではなかった。

彼らは専門性を持ち合わせないのだろうか。

 

答えは言うまでもない。

もちろんある特定の疾患への興味はベースにあるだろうが、疾患という枠とは別のところで1つを極めてもっぱら取り組んだ彼らは確かに専門性を発揮していた。

しかも医師として。

「医療」という枠からもはみ出て専門性を発揮している先人の仕事に深い尊敬を抱く。

この価値観はいつからのものだろうか。

 

全体性。

これを個人の身体の中に見つけること、人の集団に見つけること、地域や国に見つけること。

そこに食事という処方を投じ、全体性の回復へと導くこと。

「君のやりたいことは、やり続ければ科学になると思うよ」

強烈に励まして続けてくれる言葉がある。

「専門性がない」「マニアックさがない」

これも事実だろう。

今の私にはそれがない。

だから、来年から医師になるのだ。

 

医療者に仲間入りできることが楽しみでならない。

いのちを扱うことを許された職業。

こんなに名誉なことはない。

その専門の中で、新しく表現していけることが楽しみでならない。

来年の採用に向けた面接を終えて、専門に対する心の扉が開き始めているようだ。

Buona giornata.