Buongiorno.
医学生についての自虐的考察。
医学部に入ろうと思い立つのが中学〜高校。
その後平均的には現役か1〜2浪を経て進学を果たすのが18〜20歳。
周囲の勤勉さと要領の良さに揉まれながら、6年間の勉強を終え、国家試験をクリアして医師になるのが24〜26歳。
2年間の初期研修を終えて26〜28歳。
ついに医師としての第一歩を踏み出す。
5、6年生になる頃にはすでに22〜24歳。
かつての友人、大学の他学部の同級生はすでに就職して社会人をしている。
一方で親に不自由のない勉強の機会と十分な物資を与えられて、大学内での楽しみに浸っているだけの自分自身。
漠然とした焦りが、医師国家資格というゴールへの気持ちを急かす。
6年間で出られれば24〜26歳。
(主観的だが)まだ周りと比べても遜色ない。
他者比較の精神安定を手に入れる。
「医学部は大変でしょう」
社会の評価に自分自身が引っ張られる。
“大変であろう”たくさんの試験に十分な準備をもって臨む。
6年間で出たいという焦りと周囲の勤勉さに、その準備はより一層入念になる。
余裕をもって目の前の課題を一つずつ倒し、医師への道を進んでいく。
医学以外への身動きがとにかく取りづらい。
そもそもどうして医学部に進んだのか。
人の役に立つ職業。
親や親戚が医師で。
家族や友人が大病を患った時の無力感。
いろんな理由がある、とは言わない。
大体のパターンがある。
医学部入学に面接を伴うことが「なぜ医学部を選んだのか/医師を目指すのか」という質問への答えを一様にしていると推測する。
合格のため。安定した合格を。
そのために1点でも多く得られるところで点数を確実に掴み取る。
回答は求められるものに近づき、口にすればそれは真実になる。
かく書く私も、先程あげたような理由を私の答えだと信じて、また人から納得を得られることも分かって連呼してきた人間だ。
ここに来て、果たしてそれが事実か自信を持てなくなってきた。
医師という職業が近くにいて、当時の精神状態と性格からくる社会的安定志向がその職業にしがみついた結果だったというのが、正確ではないか。
もう一点素直に前向きに答えられるとしたら、生物に関心があったこと。
どうして生き物は生きているのか。
どうして私は生きているのか。
人間を診られるという純粋な好奇心に基づいていたとして、医師がこれを口にすると社会的には「奇妙だ」「危険だ」と言われかねないから、その発想を無かったことにしてきたというのが正しいのではないだろうか。
危険な医師像といえば「羊たちの沈黙」からサーガとして描かれ続けるハンニバル・レクターが真っ先に思いつく。
彼のモデルになったのは8人ものヘルスケア・シリアルキラーだそうだ。
医療者は一般の生活の場面に登場する、命を扱う身近な存在であるために、その職種に求められる倫理観はお互いのチェックだけでは社会に満足されず、一般から見ても真っ当と判断できる水準以上であることを求められる。
医療者は人に害なすものであってはならない。
今なお、医療者間で共有される医学の父ヒポクラテスの「誓い」。
彼が生きたのは紀元前400年ごろ。
紀元前からの教えの上に成り立つ職業は、他にあるだろうか(王族など支配者側にはありそうだ)。
医師という職業はその誇り高き歴史ゆえに規範に縛り付けられる宿命を背負っている。
備わった安定思考を推進力に医学の道の門を開け、歴史の厚みをはらんだたくさんの縛りを引き受ける6年間を経て医師になり、ルールのある戦場へと飛び込んでいく。
入り口に自由のないこの闘いの先に、自由はあるだろうか。
Buona giornata.