Buonasera.
かつて経験した「制御不能」状態についての分析に取り組んでみる。
普段は絶対にやらないような行動をとってしまう。
他人を物理的に傷つけたり、言葉で攻撃したり、人前で涙が止まらなくなったり、人によってその表出は異なるのだろう。
言葉を変えれば「暴走」だろうか。
あなたも経験があるかもしれない。
ある物事に対して我慢を重ねた結果、ダムの中にストレスが溜まり容量いっぱい、決壊寸前になる。
ここに強いストレスがかかった時、ダムは決壊し溜め込んでいたストレスと、押し殺してきた感情や行動が外へと溢れ出す。
身体も心も自分のコントロールを離れて「感情に任せて」動き出す。
操縦桿を本来の自分の反対側の存在(これもまた自分)に握らせている状態。
人によるのかもしれないが、その状態の記憶がハッキリとしている。
小学5年生の時。
少年野球は僕のストレスの種だった。
特に人間関係において悩んでいた。
その日は練習を早抜けしなければならなかった。
うっかり抜ける時間を伝えそびれたまま、練習が始まってしまい、抜ける時間になってしまった。
自分なりに練習の切れ間を見つけて抜けることの許可をもらいに監督の元へ。
そこへ行くことすらもストレスだし、次の予定に遅れそうなのもストレス。
練習の切れ間の読みが甘かったか、
「お前のせいで練習止まっとるやん」
とのこと。
これがストレスのダムをぶち壊したらしい。
「プチン」という音が聞こえたような気もする。
制御不能になった私は
「やめてやる!!!」
と父兄も他のメンバーもいる中、怒号をあげた。
荷物をまとめて興奮と悔しさが混じりあった涙を抱えてグラウンドを後にする。
そのストレスの吐き口として駐車場でモノを思い切り蹴飛ばした。
その感触と行為に気持ちよさを感じたことを覚えている。
・人前で大きな声で叫ぶ
・感情を爆発させる
・ものを蹴り飛ばす
全て普段はやることのない(やらないようにしていた)行動である。
ダムの決壊と同時に封じ込めてきた自分自身が溢れ出した瞬間だった。
短時間ではあるが、二重人格に近い状態だったように感じる。
しかし不思議なことにこの時の記憶は鮮明に残っている。
何も覚えていないという人もいるかもしれないが、こうして今分析できることは役に立っている。
字数と時間の関係で、この内容は2回に分けることにする。
Buona serata.