Buongiorno.
富士山の6合目にてご来光をみる。
同じ太陽なのに違うように感じるのは、きっと人間だけだ。
前回に引き続き、かつての問題行動の分析を。
・人前で大きな声で叫ぶ
・感情を爆発させる
・ものを蹴り飛ばす
制御不能に陥った小学校の私が起こした暴走。
人間への物理的な攻撃、言葉での攻撃にならなかったのはまだ制御ができていたということだろうか。
ハッキリとした私自身の意識の中で、身体を動かしているのは私と正反対にいる存在(これもまた私自身である)。
一連の出来事の中、私自身の気持ちは軽く、特にものを蹴り飛ばした時の爽快感は忘れられない。
悲しさと悔しさと怒りと、爽快感。
行為自体への反省は今も忘れていないが、同時にあの感覚に似たものを探し続けている気がする。
「生きている」
という感じに近かった。
優等生であろうとし、自らを抑圧して生きてきた反動がはじめて表現になった瞬間だった。
もう一度あの瞬間を味わいたい。
だからずっと、その生きている感覚を求めて生きてきたのかもしれない。
これまでの「生きている」を実感した瞬間は、すぐに思い出せるものが3つ。
・中2の野球の公式戦でのダイビングキャッチ(相手側の観客からも拍手が起きるレベルで決まった)
・中3の野球の県大会予選決勝、最終回の逆転サヨナラのホームを踏んだと思った瞬間(アウトだった)と、その次に押し出しデッドボールで勝った瞬間
・クラウドファンディングで目標金額(100万円)を達成したあたり(ハッキリしない)
持てる限り全てのエネルギーを爆発させた“瞬間”に生を感じてきた。
おそらく脳内では大量のドーパミンが放出されるのだろう。
中毒・依存状態といわれても否定はできない。
「なんでそんなに頑張れるんですか?」
よくいただく質問の答えは、
「そうでないと生きて行かれないのです」
今のところこれ以上にはない。
あと、頑張っているという感覚ではなかったりする。
This is my story, and you're not part of it.
Buona giornata.