現代の食医 食べて飲んで生きる毎日

長野県で料理人/医者をしています。フィレンツェで料理人してました。

理想の姿を描く

Buonasera.

イタリアの話をすると、あの頃自分が最も自分らしくいられたという感覚を覚える。

朝起きて厨房に行き、仕込をして昼営業。

家に帰って仕込をして夜営業。

終わったら友人と飲んで日付が過ぎてから家に帰る。

休みの日にはいろんな場所に出かけて、未だ知らない人や食べものに出会う。

海外にいるという1要素、料理を中心に回る生活という1要素。

言語に料理に文化に、医学のことはすっかり忘れて必死に生きていた。

欲を言えば、もっと自由な時間が欲しかったし、自由に動くためのお金も欲しかったし、納得のいく技術をもっと身につけたかった。

 

私は何者になりたいのか。

「優等生」というワードが3日前の記事に登場したあたりから、急激に人生の捉え方が荒れ始めた。

あなたも経験があるかもしれないが、自らの中に人格が数人いるという感覚は2020年頃から感じている。

私の場合、最大で3人。

疲れやストレスが溜まった時にそれぞれの自分を認識しやすくなる。

ユング心理学に触れたり、友人たちとの対話を重ねる中で、私の中にこれまでの人生の反発としての、もう1人、もしくはもう2人の私の存在が明らかになりつつある。

 

Aが優等生の私、Bがこれまでの人生の反発としての私というところまで粗い分解ができた。

 Aはとにかく人からの評価を気にする。

これまでテストやスポーツなど、評価をされるように必死にがんばってきた。

上手くやっていれば怒られない。

医学部に合格する実力を証明できれば、他者からの評価につながる。

合格のための学力をつければ、その過程で教師や周囲から評価される。

いつの間にか優等生である自分にしがみつくようになった。

Aは未だに相手の評価を気にして動く。

 

Bは自由を求めている。

Aが縛り付けられてきた分、その反動で自由になりたがっている。

何にも縛られない。

社会的な評価にも生活範囲にも、自分自身の考えていることにも。

 

AとBが調和する場所。

少しB寄りのところか、これから見つけるCにも重なるような場所に、理想の姿が描けるはず。

理想の姿がわかると、そこへ向かっていくための道筋が見えてくる。

あなたは本当に何者になりたいのか。

理想の姿を描くことにだって、素直になっていい。

イタリアにいた頃の私をもっと大切にしてあげたい。

Buona serata.