現代の食医 食べて飲んで生きる毎日

長野県で料理人/医者をしています。フィレンツェで料理人してました。

お金の捉え方

Buonasera.

環境を変えることで、人の成長速度は確かに変わる。

北海道でできなかったことが、東京でならできる。

東京でできなかったことが、北海道でならできる。

今なら自信を持って答えられる、どちらも真だ。

 

日本の教育にはお金について学ぶシーンがない。

お金の話は「汚い話」とされ、公的な場は疎か、家庭によっては親から子へと伝えられる機会もない。

経済を動かすガソリンがお金であり、これがなければ私たちの生活は成り立たないというのに、ガソリンの汲み方やタンクへの注ぎ方を知らないままに「さあ走ってみなさい」と、経済の中に解き放たれる。

 

お金について、少しずつ考え方を変えてきた。

普通に大学生をしていた頃は、収入はアルバイトで月に数万円程度。

支出は移動費や宿泊費、交際費に数万円程度。

身の回りの生活で必要な程度しか運用してこなかった。

 

自分で物を売ってみると、物をつくるためにお金がかかることが分かった。

一度お金や時間というコストをかけて、それを使う人がいることで対価としてお金がもらえるという売る側の視点が身についた。

大きな事をするには、さらに大きな額のお金が必要になることを知った。

 

医療に置き換えてもそうだ。

薬も医療機器も、メスや聴診器も、つくるのにお金がかかるし、それを買ってもらって成り立っている。

医療者が診療する時間には、これまで大学で学んできた時間や学費、必要だった書籍などコストがすでにかかっていて、提供する技術や知識に対価を受けとっている。

それらが行われる病院も、建築には大きな額がかかっており、かけたコストを取り戻すことも念頭に、つくった後の運営方法を設計していく。

 

どうしてか、お金を毛嫌いしてきた。

お金に取り憑かれた人間の描写はテレビで枚挙にいとまない。

「こうなりたくない」という感情操作。

それこそ日本的に教育された結果ではないだろうか。

 

お金とは

手段であり、

不幸を回避するものであり、

幸せを維持するものであり、

愛情そのもの

である。

 

一般に受け入れられそうな理想を語って、人に聞いてもらえて満足していた頃に、もう戻れない。

行動の先にだけ、手に入れたい人生が現れると知ってしまったから。
Buona serata.