Buongiorno.
新しい生活への不安が、日常のペースと行動範囲を制限する。
住まいが変わる、仕事が変わる、家族が増える…。
やりたいことはあったはず。
今はもう思い出すこともできない、
というわけでもない。
思い出せるはずだとどこかで感じている。
直視してあげられないことが怖くて、見ようとすることができないのだ。
直視したところでどうなる。
再び目を背けて、見なくなっていくだけだ。
また目を背けるしかないのだ。
住まいが変わる、仕事が変わる、家族が増える…。
今はどうしたって、できないのだ。
果たして、今言ったところの「どうしたって」を検討したことはあっただろうか。
本当に執りうる手段・パターンの全てを漏れなく列挙して眺めてみたことはあっただろうか。
自分にとって都合のいい「やらない理由」だけを思いつくだけ並べあげて、変わらず深く腰掛けていただけではないだろうか。
人はやらない理由を並べ立てる。
住まいが変わる、仕事が変わる、家族が増える、試験がある、新しい生活が始まる…。
不確実性を前に、さらなる不確実性を積み重ねることは、ますます安定を失うための一手だ。
人は変化を恐れる。
危険を冒して食糧を手に入れに行く必要のない現代において、わざわざ自らを危機に陥れる必要などあるだろうか。
みんながそうしているから、家族がそう言うから、求められたいから。
2次的な理由に駆り立てられた先で道は途絶している。
違う。
危機への第一歩は、常に主体的であったはずだ。
自分のために。
守るべき人のために。
世界のために。
耳を傾けるべきは「そうしなければいられない」という駆り立てられる気持ちこそだ。
安定にしがみつかないでいられるために恒常性(ホメオスタシス)を持つ我々は環境を変えていける。
恒常性は一定のパフォーマンスを発揮するバランスに自らを戻す能力のことで、今の居場所に固執するためのものではなかったはずだ。
やらない理由を挙げて動かずにいたのは、自分を守るためではない。
自分を大切にしない自分に、しがみついていたに過ぎない。
自分を大切にする必要な一手は、2次的な声を認め、聞こえた声を内側に引き受け消化し、主体的に選択し、「やらずにはいられない」の声を実現させる何らかの方法を考え抜くことだ。
そうすれば、どのピースが足りないか分かってくる。
あとはそのピースを足してあげるだけで、道は開ける。
まずは、やらない理由を挙げ切ってみるのもいい。
「ああ、こんなにやらない理由を必死に挙げている自分、可愛いな」
そう思えたら、人生の始まりだ。
Buona giornata.