現代の食医 食べて飲んで生きる毎日

長野県で料理人/医者をしています。フィレンツェで料理人してました。

やらない理由

Buongiorno.

新しい生活への不安が、日常のペースと行動範囲を制限する。

住まいが変わる、仕事が変わる、家族が増える…。

やりたいことはあったはず。

今はもう思い出すこともできない、

というわけでもない。

思い出せるはずだとどこかで感じている。

直視してあげられないことが怖くて、見ようとすることができないのだ。

 

直視したところでどうなる。

再び目を背けて、見なくなっていくだけだ。

また目を背けるしかないのだ。

住まいが変わる、仕事が変わる、家族が増える…。

今はどうしたって、できないのだ。

 

果たして、今言ったところの「どうしたって」を検討したことはあっただろうか。

本当に執りうる手段・パターンの全てを漏れなく列挙して眺めてみたことはあっただろうか。

自分にとって都合のいい「やらない理由」だけを思いつくだけ並べあげて、変わらず深く腰掛けていただけではないだろうか。

 

人はやらない理由を並べ立てる。

住まいが変わる、仕事が変わる、家族が増える、試験がある、新しい生活が始まる…。

不確実性を前に、さらなる不確実性を積み重ねることは、ますます安定を失うための一手だ。

 

人は変化を恐れる。

危険を冒して食糧を手に入れに行く必要のない現代において、わざわざ自らを危機に陥れる必要などあるだろうか。

みんながそうしているから、家族がそう言うから、求められたいから。

2次的な理由に駆り立てられた先で道は途絶している。

 

違う。

危機への第一歩は、常に主体的であったはずだ。

 

自分のために。

守るべき人のために。

世界のために。

 

耳を傾けるべきは「そうしなければいられない」という駆り立てられる気持ちこそだ。

安定にしがみつかないでいられるために恒常性(ホメオスタシス)を持つ我々は環境を変えていける。

恒常性は一定のパフォーマンスを発揮するバランスに自らを戻す能力のことで、今の居場所に固執するためのものではなかったはずだ。

 

やらない理由を挙げて動かずにいたのは、自分を守るためではない。

自分を大切にしない自分に、しがみついていたに過ぎない。

自分を大切にする必要な一手は、2次的な声を認め、聞こえた声を内側に引き受け消化し、主体的に選択し、「やらずにはいられない」の声を実現させる何らかの方法を考え抜くことだ。

そうすれば、どのピースが足りないか分かってくる。

あとはそのピースを足してあげるだけで、道は開ける。

 

まずは、やらない理由を挙げ切ってみるのもいい。

「ああ、こんなにやらない理由を必死に挙げている自分、可愛いな」

そう思えたら、人生の始まりだ。

Buona giornata.