Buonacera.
寝れない夜。
人生は忘れることの連続だけど、時々思い出すこともある。
幼稚園と食事の思い出がひとつ戻ってきた。
通っていた幼稚園はお弁当だった。
年小さんは「ことり組」だったかな。
まだお箸になれていない注意散漫な4歳児は、ご飯を床に落とすことも。
ある日、例に違わずぼくも落とした。
卵焼きが、こぼれ落ちた。
落としたものは、汚いからもう食べられない。
肩を落としていたら、先生が卵焼きを拾い上げて、先生の部屋にある台所に連れていってくれた。
落とした卵焼きが、温めたフライパンの中へ。
汚れちゃっても焼いたらきれいになるのだ、程度に理解していた気がする。
食べられないものが食べられるようになるなんて、魔法みたいだ。
なんといっても、焼いた卵焼きは美味しかった。
冷たいお弁当の一品は温められるだけでずっと美味しくなるし、ちょっと焦げるくらい焼き目がついて香ばしい。
わざと落とすのは良くないことだと思っていたはずだけど、焼いた卵焼きを食べたのは1回で済まなかった気がする。
これだけ覚えているなら、もしかしたら1度はわざと落としたかもしれない。
古い料理の記憶は、一度食べられなくなったものを美味しく食べる方法だった。
料理はすごいんだって感動したんだ。
これも立派な食育だったんだな。
幼稚園の先生のひと工夫が食医誕生の大事な要素だった、なんていつか話すのかもしれない。
賞味期限、消費期限、落とした食べもの。
食べものを食べれなくするものはなんだろう?
食べられなくなる瞬間を、自分で判断せずに、他の誰かの常識に頼って思考停止していないだろうか。
食材を作った人、運んだ人、調理した人や、素材そのものへの敬意はどこへいったんだろう。
ぼくたちは「いただきます」を忘れていないだろうか。
思い出にひたって眠れそう。
Buona notte.