現代の食医 食べて飲んで生きる毎日

長野県で料理人/医者をしています。フィレンツェで料理人してました。

弁当からこぼれた卵焼き

Buonacera.

寝れない夜。

人生は忘れることの連続だけど、時々思い出すこともある。

幼稚園と食事の思い出がひとつ戻ってきた。

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不格好が良いってこともあるんだな

通っていた幼稚園はお弁当だった。

年小さんは「ことり組」だったかな。

まだお箸になれていない注意散漫な4歳児は、ご飯を床に落とすことも。

ある日、例に違わずぼくも落とした。

卵焼きが、こぼれ落ちた。

落としたものは、汚いからもう食べられない。

肩を落としていたら、先生が卵焼きを拾い上げて、先生の部屋にある台所に連れていってくれた。

 

落とした卵焼きが、温めたフライパンの中へ。

汚れちゃっても焼いたらきれいになるのだ、程度に理解していた気がする。

食べられないものが食べられるようになるなんて、魔法みたいだ。

 

なんといっても、焼いた卵焼きは美味しかった。

冷たいお弁当の一品は温められるだけでずっと美味しくなるし、ちょっと焦げるくらい焼き目がついて香ばしい。

 

わざと落とすのは良くないことだと思っていたはずだけど、焼いた卵焼きを食べたのは1回で済まなかった気がする。

これだけ覚えているなら、もしかしたら1度はわざと落としたかもしれない。

古い料理の記憶は、一度食べられなくなったものを美味しく食べる方法だった。

料理はすごいんだって感動したんだ。

これも立派な食育だったんだな。

幼稚園の先生のひと工夫が食医誕生の大事な要素だった、なんていつか話すのかもしれない。

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回転寿司の卵焼きは、なんだか人工的だった。

賞味期限、消費期限、落とした食べもの。

食べものを食べれなくするものはなんだろう?

食べられなくなる瞬間を、自分で判断せずに、他の誰かの常識に頼って思考停止していないだろうか。

食材を作った人、運んだ人、調理した人や、素材そのものへの敬意はどこへいったんだろう。

ぼくたちは「いただきます」を忘れていないだろうか。

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2ヶ月以上放置したりんごは柔らかく自然発酵していたけど、美味しく食べれてしまった

思い出にひたって眠れそう。

Buona notte.