現代の食医 食べて飲んで生きる毎日

長野県で料理人/医者をしています。フィレンツェで料理人してました。

「飲みに行きましょう」についての考察

Buonasera.

地元の石川県はミュージアム巡りをするのにはうってつけ。

今週は鈴木大拙館、西田幾多郎記念館、KAMU。

優れた建築に良いものを収めて広めていく。

石川県がそういう感度の高いところであることに感謝。

こういうのが「文化」ってやつだと思う。先人たちに感謝。

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ついに行けた西田幾多郎記念館(安藤忠雄による建築)

イタリアに行くことを決めた頃から日本語に対する関心度がグングンと高まっている僕ですが、

今日は20歳を過ぎると耳にし始める言葉、

「飲みに行きましょう」

について書いてみたいと思います。

 

まず自分以外の他者がいて初めて使われる言葉ですね。

独り言で「飲みに行きましょう(ボソッ)」は無いない。

複数の人に対して使うこともありますが、

今回は個人が別の個人(1人)に対して使う場合に限定して考えます。

(1人に対して使ったら後から後から参加する人が増えてくるパターンはもちろんあります。それは言葉を投げ終わったあとの出来事なので、言葉の意味には含まれないということで。)

 

大きく2つに分けて

・本当に飲みに行きたいと思っている誘いの文句

・コミュニケーションの一環としての社交辞令

と言うことができそうです。

社交辞令の場合について書くのはまた別のタイミングで。

前者の場合を考えてみます。

 

含まれる意は

・私はお酒を飲みに行きたいです

・あなたとお酒を飲みに行きたいです

・あなたと話がしたいです

・あなたに興味があります

・私はある程度(以上)お酒を飲める体質です

 

といったところでしょうか。

最後のは個人に依るところが大きそう。

 

さて、少し脇に逸れて日本における「他人と飲みに行く」ことについての考察。

飲みニケーション(死語!?)なんて言葉もありますが、

酒を飲みに行く場ですら仕事の話をしたり、

酒が入っていない時にはできないような打ち明け話や裏話をする。

高度経済成長期あたりからやっているようなイメージではあります。

お父さんが酔いつぶれて帰ってくるってやつ。

上司は部下とのコミュニケーションの時間がほしくて。

部下は上司からの誘いを断れなくて、みたいな。

 

酒に酔い、

仕事のストレスを晴らす、

愚痴をもらす、

普段できないコミュニケーションをとるetc

経済活動、人間関係、メンタルヘルスの点で飲酒が担ってきた部分はここ日本でも多かれ少なかれあることでしょう。

日本でも、と言ったのでちょっと海外の話も。

ヨーロッパに留学して知ったパブの文化。

パブは元々public house(公共の家)からきている。

学校や仕事終わりに友人とお話をしたり集まってきた人たちでサッカー観戦をする場所だったり。

パブと聞いて「外国の、酒を飲む場所」って日本人はイメージするけど、

コミュニティ的な意味合いが強い言葉なのかもね。

ひるがえって、日本には日本らしいお酒との関わり方があると信じております。

 

さて戻ります。

知らず知らず使ってる便利な言葉「飲みに行きましょう」。

だって、

「あなたに興味があります」

「君と話がしたい」

なんて言ったら身構えられたり引かれたりするでしょ?

でも「飲みに行きましょう(行こう)」って言えば、

使う側は間接的にその意味を伝えられるからラク。使いやすい。

言われる側も間接的だから受け止めるのがラク。とりあえず受けとくか、ができる。

「飲みに行きましょう」は純粋な「酒を飲みに行こうぜ」ではない、

一つの言葉にいろんな意味が込められた、

日本人らしい言葉だと思います。

 

個人的な話を。

僕は美味しいお酒が好きです。

味はもちろんですが、

その酒の持つストーリーとか、

集めている人(酒屋、飲食店、個人)の集め方にあるストーリーなど、

情報面も美味しさが増すプラスポイントです。

しかし一人で飲むお酒はそのシチュエーションがもうマイナスポイント。

美味しさが急減します。

一方、誰かと飲むことは大きなプラスの要素。

酒をお供に人と話をすることに美味しさを感じます。

だから一人では滅多にお酒、飲みません。

 

そんな僕にとって「飲みに行きましょう」は大切な言葉。

使い方としては上で記した意味の中の「あなたと話がしたいです」「あなたに興味があります」が非常に大きい。

大変恩恵を受けている言葉です。

こういう価値観なので、自分が言われる場合はすっごい喜びます。

上記の使い方をする人間なので、

「この人は少なくとも自分に興味を持ってくれているのね」と解釈します。

他人に興味を持ってもらえるなんて、

同性からでも異性からでもこんな嬉しいことないです。

だからよっぽどの理由がない限り断りません。

日程が合わなければ別の日を提案します。

あと声をかけてくれた人に失礼だと思うので、

うやむやにすることを嫌います。

 

こう考える理由は20歳になってから誘われて飲む場面の中に

僕にとって大切な瞬間が多いから。

近い先輩からはなかなか聞けなかった素敵な経験談を聞けたり、

知らない職種の人と話せば新しい世界を垣間見ることができたし、

悩んでいることをポロっと口にしたら親身に相談に乗ってもらえて解決に向かったり、

その後大きく価値観を変えてくれる新しいアルバイトに誘ってもらえたり、

予想外の言葉をかけられて大きな悩みを持ち帰ることになったり。

人間的に成長するイベントの入り口には「飲みに行きましょう」があったわけです。

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一杯がつくりだす無限。人と酒。

 

自分より上の人に教えてもらった大事な日本語だと思っています。

お酒(アルコール)は事故や事件に紐付きやすいので、

その扱い方は利用するみんなが覚えていく必要がある。

しかし同時にマイナスの場面ばかりスポットライトを当てて持ち上げるのも僕たちの社会やメディアの傾向であることを自覚していきたい。

酒類研究会 醸鹿 Kamo-shiKa」を運営しているのは、

食の新しい選択肢を若い人に提案する、という面が大きいですが、

1人の「酒と酒をとりまく文化」を愛する人間として、

お酒との適切な関わり方を知ってほしいという思いもあってやっています。

 

言葉はツール。

言葉の良い悪いも使う人たちの素敵な使い方あってこそ。

「飲みに行きましょう」が文化を反映した美しい日本語であり続けることを祈って。

Salute! Cincin!