Buongiorno.
本の感想シリーズをはじめてみる。
アウトプット無きインプットに、答えに向かう力はない。
自戒を込めて。
日本初のユング派の心理学者である河合隼雄が、長年の臨床心理学の経験と自らの仏教のバックグラウンドを照らし合わせながら、特に禅の考え方と心理療法に近いものがあることを述べていく。
日本的霊性は,鎌倉時代に禅と浄土系思想によって初めて明白に顕現し,
その霊性的自覚が現在に及ぶと述べる。
拙い解釈で恐縮だが、日本人にとって日本的風土かつ仏教が生活に溶け込んでいる中で育つこっとで、ある事象Xの捉え方が、大いに日本人的になる(無自覚になってしまう)。
ユング派の心理学は西洋で生まれたものであり、西洋・キリスト教的な考え方のベースをもってすればユングのいわんとしたほぼそのままの形で理解し、応用できる。
一方で日本人として日本的・仏教的な考え方のベースをもってすると、ある事象Xへいずれたどり着くという点では西洋と同じでも、思考方法や順序が逆転したりする。
異なる宗教が結局はすべて同じことを述べているという感覚に近い。
本書の中で示される日本の仏教の「牧牛図」と西洋の錬金術を示す「賢者の薔薇園」の類似性と差違を認めつつ、そのどちらもユング派の言うところの「自己」を探し求めることの表現であるという一致をみる。
両者の比較こそが東西の意識の在り方の比較になる。
これら2図の比較から、西洋近代の男性原理と、元来インドで起こった頃は男性に向けて説かれたものの、大乗仏教の考えが強くなることで母性原理を獲得し、原理的には母性優位の宗教となった日本仏教について示されていく。
宗教の父性(男性原理)・母性(女性原理)について詳しくは上記を参考に。
日本仏教において母性が高く評価されることについて、神道において太陽神が他の宗教は男神ばかりであることに対して、天照大神が女性であることとのつながりを感じずにはいられない。
雨の多く、自然豊かな「生み出す力」を感じやすい日本において、生み出す存在としての女性原理が育ったというのはもう何千年も前のころからのことなのだろう。
人間の苦しみ、かなしみに応える宗教の力、特に日本人にとっての日本仏教の包み込むような力は、これからも無視するわけにはいかない。
Buona giornata.