Buongiorno.
目の前で起こるものごとへの関わり方について、マインドフルネスという手法についての勉強の記録と座禅の話を。
昔から仏教の、中でも禅の考え方に深いところで共鳴している。
同郷の鈴木大拙には心惹かれている。
起きたことに意味をつけたがるのが人間で、もちろん意味を見出しながらでないと乗り越えられないこともある。
一方で色即是空であり、空即是色である。
かつて書いた記事を参考にしていただきたい。
意味をつけることに固執していては世界が見えてこない。
すべて空であると隠遁するのでも世界は見えてこない。
バランスが重要なのだろう。
それではそもそもmindfulnessとは。
mindful(形): 気を配る、意識している
仏教の瞑想をベースに生まれたマインドフルネスは、「今の瞬間の気持ち」「今の身体状況」を五感で知覚し、起きたことを起きたままに捉えていくこと。
過去や思考、感情に囚われない心を育てることで、集中力が向上することや幸福度が増すことを目的としている。
姿勢を正し、ただ自分の呼吸に意識を向ける。
目的意識を持ち、意識の中に生じてきた雑念を流していく。
名だたる一流企業が導入し、社員のパフォーマンス向上につながったという結果を残してきた。
ここで個人的に引っかかっておきたいポイントが、同じ「瞑想」を起源とする座禅とマインドフルネスは異なるということ。
仏教者が坐って行うのはマインドフルネスではない。
座禅には何かを得ようという目的は介入しない。
彼は、ただそこに坐る。
悟りへの道の過程の一場面として、彼が仏陀のように悟るその時に向けて。
しかし「悟るぞ」という目的意識ではない形で。
悟りは意識すればするほど離れていく。
坐るという目的のために坐るというのが正確だろう。
そこに「〇〇を達成しよう」という目的意識も、雑念を流そうという自我も存在しない。
ただそこに坐る。
身体の外側で起きることも内側で起きることも、すべてが「一(いつ)」なのだと認識することを信じて。
マインドフルネスは自我の意識による物事の捉え方をコントロールする。
座禅は意識を超えたところに向けて、ただ坐る。
起源を知り、差を知って、しかしこれらもまた異なるように見えて一(いつ)なのだと認識できる日に向けて。
Buona giornata.