現代の食医 食べて飲んで生きる毎日

長野県で料理人/医者をしています。フィレンツェで料理人してました。

〇〇主義の雲の下

Buongiorno.

あっという間に東京での1回目の平日が過ぎ去った。

このスピード感こそ、この場所の持つ力なんだろう。

これを体感したくてやってきたのだ。

自分の時間と体力には上限があるはずだが、周りのスピード感に乗せられて、不思議と力が湧いてくる。

上昇気流が吹いている。

この上昇気流の先に待っているのは何だろう。

 

「〇〇主義の移動」について昨夜、議論した。

資本主義、社会主義共産主義など〇〇主義にはそれぞれ適した土地があり、例えば資本主義は都会に合いやすい、社会主義は田舎に合いやすいのではないか。

この話をしたときに頭の中に浮かんだのが「〇〇主義の雲」とその下を動く人間の

イメージだ。

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〇〇主義の雲の下で、その土地は〇〇主義になる。

人間は動く。

元いた〇〇主義から離れるために、新しい〇〇主義の下で生きるために、人は移動することができる。

一方で雲もまた移動する。

せっかく移動して土地が変わったのに、また同じ主義の雲の下に置かれてしまう可能性がある。

 

これら雲を移動させる力が、経済や人の想い。

人が集まって念じることで、雲を引き寄せたり遠ざけたりすることができる。

しかしその力は、経済のそれと比べれば目に見えないくらい小さいものだ。

 

東京は基本的に資本主義の雲に覆われている場所なんだろう。

資本主義の雲は積乱雲だ。

他のどの雲より大きく、厚く育つものだ。

このスピード感はこの雲の下だからこそ生まれる。

ものすごい速度の気流が発生している。

経済だけでなく、この場所でこの雲を育てようという人の想いまで足し算されているからだ。

この雲の下は強い日差しを遮ってくれる。

さらに人が集まってくる。

 

強い日差し=ただ1人として生きること、としてみる。

容赦の無い光線が降り注ぐこの世界に生まれる。

自らの足で歩き始めたとき、世の中に降り注ぐ日差しを認知する。

この日差しを全身で受けるのは覚悟のいることだ。

火傷するかもしれない。

目が見えなくなるかもしれない。

他人とは違う姿になってしまうかもしれない。

雲の下にいれば、日差しを受けることについて思い悩む必要はない。

 

雲の下に出て、身体一杯に光線を浴びる。

雲の切れ間にも世界があることを知る。

その世界には入り方があって、その方法は人それぞれ違って、日の元で探し続けなければ見つからないものらしい。

Buona giornata.