現代の食医 食べて飲んで生きる毎日

長野県で料理人/医者をしています。フィレンツェで料理人してました。

言語を使い分ける

Buongiorno.

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同じ日本人でも話が通じない。本当に同じ?

 

「相手の気持ちになって考える」ということが、子どもの頃はできたはずなのに、大人になると難しさを感じる。
そんな経験なかったでしょうか?

どうすればまた、相手の気持ちになってコミュニケーションすることができるのか。

 

人間は成長するにつれて「私は他者と異なる」ことを明確にする材料を必要とされる。

「私」という存在を見失わないために。

相手に「私」を認識してもらい、受容してもらうために。

様々な属性をインストールすることが迫られる。

「〇〇出身」「〇〇卒業」「〇〇所属」「〇〇が趣味」…。

これらを社会における「言語」と名付けたい。

日本人が日本語を話すように、〇〇出身者はその土地のことを話す。

 

どうすれば他者と自分を区別できるか考え、持てる手札から効果的なものを提示していく。

次第に相手の反応にパターンが見えてきて、似たようなカードを切るようになる。

提示した「〇〇」に関心を持つ人、共有できる人とのコミュニケーションの回数が増えていく。

口にすることがあなたを形作る。

知らず知らず「〇〇」という偏りをもった自らに近づいていく。

いわば「〇〇人」になっていく。

「〇〇人」の文脈で話せば話すほど、さらに内容は偏っていく。

 

子どもの頃、周囲の世界は狭かった。

家庭、学校に、習い事があるくらいだろうか。

区別を必要とされる場面は多くなく、「〇〇」を求められることが少ない。

出会う人は家族か大人か、同じ子ども。

家族はあなたのことを前から知っている。

すでに「〇〇家」という言語を共有していて、コミュニケーションにストレスはない。

出会う大人は言語を子どもに合わせてくれるから、こちらからのコミュニケーションは「対大人モード」で十分。

子ども同士であれば、「子ども」という属性で共通しているので言語は一致する。

少し大人びたことを考えるクラスメイトと話しづらかった経験がないだろうか?

彼らは逆に、あなたが話していることが分からなくて、孤独を感じていたかもしれない。

 

大人になって、手札にある偏りを持った「〇〇」を使い分けるようになる。

すると手札では対応できない違う属性の人たちと話したときに、言語の違いに気づけなくなってしまう。

「この人はどうしてこんなに見当違いなんだろう」

「いつもなら伝わるのに、どうして伝わらない?」

コミュニケーションに弊害が生じてしまう。

もちろんあなただけの問題とは限らない。

相手も同様に偏っていることに気づかず、言語のすり合わせができなくなっている。

コミュニケーションは参加者によるセッションであり、上手くいかない時はお互いに落ち度があるものだ。

 

いま、相手と同じ言語を使えているか。

相手の言語に合わせて話せているか。

あなたがたくさんの言語を操れるのであれば、歩み寄れる側になれることに自信を持っていい。

Buona giornata.