現代の食医見習い 食べて飲んで生きる毎日

北海道で医学生をしています。休学してイタリアで料理留学してた頃の話とか思ったこと書いています。

木に醤油とみりんが染みついた香り

Buongiorno.

「急いで芯を見つけようとはしていないね」と声をかけていただいた。

自己分析に用いるジョハリの窓の分類を借りれば「盲点の窓」、自分は知らないが他人は知っている自己を指摘してもらえることは一歩進むヒントになる。

コーチングという言葉が台頭する現代だが、元々その役割は何が、誰が、どこで担っていたのか。

私はその一つが毎日の食事の場だったと信じている。

現代の食事の場は昔と比べるとどう変わってきているだろう。

年齢を重ねた結果、経験が邪魔をしてフラットな目線で比較するのは難しい。

過去と今と未来を考えるための準備を、じっくりやっていこう。

 

旅先で勧めてもらった飲食店に入る。

芸能人もよく来ているようで、店頭には写真が貼られている。

木のスライドドアを開けると、まずお客さんと目が合った。

勢いで会釈してしまった。

どんな店のつくりだ。

 

心の中で突っ込んだのもつかの間、良い香りに記憶を揺さぶられる。

木造建築に、醤油とみりんの煮詰めた匂いが染みついている。

港町にある祖父母の家の香りのままだ。

私が食事をする姿を祖母が褒めてくれた、いつかのあの食卓をまた思い出す。

食事の場への想いの1番初めの原体験はあの時だったはずだ。

すでにこの飲食店への印象がいい。

 

おばちゃんがホール、おじちゃんが奥で魚を捌いている。

接客が心地良い。

距離感が近所のお母さん〜親戚のおばさんくらい。

奥のおじちゃんも職人気質でパリっとしてるのかと思いきや、ものすごく人当たりがいい。

店の雰囲気だけでなく、カウンターの内側から聞こえてくる2人のやり取りも私をリラックスさせてくれる。

会計を済ませるお客さんたちも初めて来たのだろうに笑顔で、おばちゃんと会話して帰って行く。

ここは本物だな。

こういう場所づくりが必要なんだ。

一度来たら次、「帰ってこれる」食事の場なんだ。

 

 

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料理が運ばれてきた。

満足の量だ。

幼少期、まさしく祖父母の家で夜ご飯を食べていたあの内容だ。

刺身に、どれだけでも食べていいご飯、そしてみそ汁。

また記憶を刺激される。

少しサービスしてくれたのがさらに嬉しい。

この飲食店の「サービス」、たとえ元々そうなっていたとしても、お客さんとの関係づくりにおいて重要だと経験からも、何かの本からも知ってはいたが、今日再び気づかされる。

いっぱい食べたいというタイミングでいっぱい出てくる。

何かあったとしても、まずはご飯をいっぱい食べること。

そのニーズを温かい雰囲気の中で満たしてくれる。

このお店は、飲食店としてほとんど隙がない。

でも自分の居場所になる良い隙間がちゃんとある。

 

食事の場づくりの新しいサンプルとして素晴らしい出会いをした。

実はドアを開けたときにいきなりお客さんと目が合うあのつくりすら、あのお店があの温かい雰囲気を出せるポイントなのではないかと思う。

それについてはまた別のタイミングで考察してみる。

 

今日あなたが良い食卓に出会えることを祈って。

Buonagiornata.