Buongiorno.
「このあとがあるから」といって、大盛り(いや、それ以上)のラーメンをほんの少しだけ残した自分自身からの気づき。
歳をとる≠若くない、なんだ。
賢しいだけの大人になることなんだ。
たくさんの物事に囲まれて時間を切り貼りし、できるだけ多くをこなしながら自らの時間も確保する。
現代的な生活様式を社会人だけでなく学生にまで強いるようになっている。
歳をとり社会の流れが目に見えるようになった今、できなくなりかけていたことがある。
自らの限界に挑戦することだ。
限界に挑戦した先には、
「限界を超える」「限界を超えられない」
いずれかの結果が待っている。
限界を超えれば、その先に新しい限界を設定することができる。
期待を裏切ったことへの賞賛を自らに送ることもできるだろう。
限界を超えられなかったときは悔しさが残るかもしれない。
一方で、越えられなかったラインを今後越えていくためのロードマップを描けるようになるだろう。
どこまでなら負荷と感じず、どこからが今の限界で、その間でどんな徴候が現れるのかを体感することは次の挑戦へのハードルを下げてくれる。
しかし、限界に挑戦するには今は忙しすぎる。
限界に挑戦した後、身体や精神にどんな影響が出るかは未知数だ。
1日は24時間。
健康を維持するために必要な睡眠や食事の時間があって、仕事の時間とその前には準備時間が必要だ。
空いた時間には社会の流れに取り残されないようたくさんの記事に目を通さなければいけないだろうし、趣味の時間も守りたい。
仕事は長引く可能性があるからバッファーも取っておかないと。
そんな24時間の連続。
どこで限界に挑戦するのだろうか。
その挑戦をした後に丸24時間は動けなくなるかもしれないような、全身全霊のチャレンジに一歩踏み出す余裕などどこにある。
脳が賢しくもブレーキをかける。
「この後に響くから」
いつもの24時間が始まる。
できることは増えていく。
自分が「できる」と分かっている範囲で。
世界は少しずつ広がっていくだろう。
今の自分に予想できる範囲で。
「答えなんか、質問する前からだいたい分かっている」
そんな感覚を得たことはないだろうか。
なまじ知っていることが増えて、ちっぽけな経験を使い回せば事足りる予測可能な物事に囲まれ始めているサインだ。
そのサインをグッと飲み込み、また今日もその24時間の輪に入っていくのだろうか。
何かが引っかかっているあなたは今、その違和感を最大化させていく戸口に立っているのかもしれない。
Buona giornata.