Buongiorno.
学生だからこそできることってある。
部活して、自転車の後ろに彼女乗せて、ファミレスで笑ってるだけのあの頃「画に描いたような」高校生活。
今はどんな「画に描いたような」学生生活があるんだろう。
大人や周囲に振り回されて、ある一つのことから離れられない気がして動けなくなったり、トレンドに手を伸ばし続けることだってできる。
私はこの有り余る時間を次のジャンプに向けて使おうと思う。
理想は常に高かった。
完璧主義になったのは、ミスしたくないから。
ミスすると怒られるのはもちろん、納得できずモヤモヤが積み重なってつらかった。
ミスしない道を確かめて歩くのはすでにクセになっている。
よっぽど以前よりは挑戦することへのハードルは下がったし、飛び込んでからミスがなさそうな道を選んで成功を最大化させるという舵取りもクセになっている。
それでもまだまだ少ない手札を並べてカードを切っているだけで、実力不足は言うまでもない。
人がそのいのちを輝かせながら、よりよく生きられるように。
時に他者と一緒にいのちを輝かせることができるように。
そんな新しい世界を目指して歩み出すには、歩むべき道が見えるように言葉を貯めていく必要があると感じて立ち止まっている。
久しぶりに私の理想を語る機会を得た。
以前よりよっぽど言葉に力がこもるようになってきた。
一語の容量が増している感覚はある。
少ない言葉でも伝わるのは、私のフェーズがたしかに変化してきている証拠だろう。
それでも、まだまだ新しい発想や具体的な切り口に言葉が開かれていかない。
その作業に着手するのは時期尚早ということだろう。
もう少し、いやまだまだ。
焦りから並べた言葉には、納得のいく熱量が乗らない。
話している言葉を話しながら反芻することが多くなったのもちょうど最近のことだ。
自らの言葉に以前よりずっと敏感になっている。
私が私をチェックしている。
もう少し、いやまだまだ。
時間を馬鹿にしてはいけない。
発酵を焦れば、カットした分の年月が生む深みは得られない。
人間の力でどうすることもできない要素に謙虚になる。
それができないから、近代的って言われるんだろう。
トレンドでしかない。
Buona giornata.