現代の食医 食べて飲んで生きる毎日

長野県で料理人/医者をしています。フィレンツェで料理人してました。

【1/3日目】朝から新鮮、夜中まで新鮮な「総合在宅医療」の現場で

Buonasera.

 

学生最後の時間を最大限活用するために、クラッシュするまで走り続ける国家試験前最後の旅。

11月8日からは岐阜県の「総合在宅医療クリニック」さんにお邪魔して3日間、見学をさせていただいた。


 


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その1日目。

さっそく「総合在宅医療」という僕にとっての新概念に圧倒されていた。

 

・好きな場所で、好きな場所を選ぶ

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週のはじめは医療者はじめ各職員がそれぞれでの打ち合わせからスタート。

クリニックの本拠地である「かがやきロッジ」は3階建てで1、2階は吹き抜けの広々とした空間。

建物内は木材で構成されていて落ち着きを与えてくれる。

高い煙突を吹き抜けの2階まで持ち上げているイタリア製の薪ストーブは、行き交う人たちを静かに威厳をもって温かく見守る。

ダイニングスペースのアイランドキッチンで、コーヒーを入れたりお茶を飲んだりお菓子をつまんだりする中に朝の会話が散りばめられている。

この空間は一発で好きになれる。

その好きな空間で、各々が好きな場所を選んでオンラインの打ち合わせに臨む。

広々とした好きになれる空間の、その日好きな場所で仕事を始める。

これほど幸せな働き方は、なかなかないと思う。

 

・新しい概念を規定するリーダー

打ち合わせや申し送りが終わったところで、1日目は院長であり医療法人かがやきの理事長である市橋先生にくっついて、かがやきが取り組む総合在宅医療について現場で学ばせていただいた。

十人十色のあり方で家にいながら身体の状態にあわせて、その人と家族のペースで暮らしている。

それをサポートするクリニックや事業所があって、病の診療や生活の介助を架け橋にゆるやかに生活の中に医療が溶け込んでいる。

チューブや脱脂綿、呼吸器が家に馴染むかのように配置されている。

家の配置に合わせて、処置を受ける人の位置に合わせて最適な場所にものが配置されて、家という1つのクリニックができているかのようだった。

医療者や介助者が持ち込むものだけでなく、家にすでに配置された道具や機器も用いることが、「外部からの支援」というハードルをグッと下げているのではないだろうか。

10年以上のクリニックの歴史や岐阜市周辺がもつ在宅医療の文脈の上に、病気が生活の中に取り込まれようとする動きをみた。

その大きな動きをサポートする営みが「総合在宅医療」なのだろうか。

「総合」というのが「どんなタイプの病気・医療でも対応します」という意味でないことは分かったように思う。

 

・深夜往診25時

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夜25時、市橋先生から連絡。

患者さんから電話があったとのこと。

深夜の在宅救急の場面に巡り会えた(たまたま目が覚めていてラッキーだった)。

着替えて出発の準備を整えたところ、まず先生直々の臨床病理のレクチャーをしていただいた。

基礎疾患を抱える人の「腹痛」というと、考えるべきことは無数にあると認識を改たにする。

レクチャーで勉強したら、車に乗り込み患者さんのお宅へ。

車の中で論文を調べてレクチャーの情報と照らし合わせ、今回の患者さんに必要な検討項目を絞り込んでいく。

これが在宅の救急か。

スピード感と、医者が患者を待つ病院の救急とは違う空気感に新鮮さを覚える。

到着して患者さんの様子を診てみると落ち着いていてひと安心。

おかげでそれ以外の部分に目が行く。

在宅で深夜に人を呼ぶということは、患者本人とその家族は深夜に寝られていないということ。

年齢によっては認知症もある。

訴え以外の別の問題がよく見える。

病気が激烈に体を襲う場所ではなく、病気と生活がせめぎ合う場所に目を向けることができた。

 

こうして足を運ぶ中で、何回に1回かの見逃してはいけない病態をつかまえたり、たとえ病気が軽度であっても本人や家族との関係性をつくっていく。

在宅でクリニックを構えて人の生活に関わっていくために時間を積み重ねていく、在宅医療の営みを目の当たりにした。

今の総合在宅医療クリニックの姿は、クリニックそのものの歴史と、関わる1人1人の歴史とがかけ算された結果なのだと感じた。

日中一緒に回った看護師さん、ドライバーさん、他のクリニックのスタッフさん、患者さんや家族、ほかの事業所さんたちの歴史まで包括し、表現する。

それこそがチームであり、その総体として法人という姿があるのだと認識した。

その姿にたどり着けるように。

まだまだ学ぶことはたくさんある。

早く医者になりたい。

 

ロッジに戻ってきて朝3時。

やり切ったという気持ちで明日に備えて眠りについた。

2日目へ続く。

 

Buona serata.

旅人が抱える不安とシェルター

Buongiorno.

これで家を離れて1週間以上経つ。

自らを元来の旅人であると思っているが、今回の旅は今までになく負荷が大きい。

仕事を抱えながらの仕事探しに、国家試験対策。

自ら招いたハードスケジュールの中で、えも言われぬ不安と無力感に向き合った夜があった。

 

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「帰るところがない」「行くところがない」「評価されない」という社会的に弱い立場にいる状態は精神にひどく痛手を与える。

社会には今の僕みたいな人を無条件に受け入れてくれる場所が必要だ。

「ここにずっといていい」「しばらくいていいんだ」と思わせてくれる場所、まさしくシェルターとなる場所が必要だ。

 

時に人は1人の人間の不幸や悲しみを受け止められるほど優しくなれない。

優しくなれる人たちが優しさを分け合って、場所をつくるんだ。

場所を用意するだけで再び立ち上がれる人間もいる。

けれど世の中には回復する力すら持たない人間だっている。

必要な期間は十人十色。

それでも「受け泊め」、回復を待ち、引き出す場所が必要だ。

 

旅人は彷徨い、疲れている。

一杯のコーヒー、一食の食事、一泊の宿。

これだけでも落ち着くのだから、1週間、1ヶ月となるとなおさらだ。

イタリアで受け泊めてもらった経験を思い出した。

朝起きてダイニングを歩く、それだけで幸福感に包まれた記憶。

旅人が、旅人でなくいられる場所が必要とされている。

 

Buona giornata.

地域と医療者 「上医」とは何か

Buongiorno.

 

今年はMAKERS UNIVERSITYといういわゆる「起業家の育成塾」にお世話になっている。

※いわゆる、であって「起業」という言葉についても大いに補足したいがここでは割愛する。

 

この私塾、もちろん倍率がしっかりと高いのだが、なんと学生側は支援者の方々の寄付や心意気に支えられて1年間無料で通うことができる。

これまでやってきた事業を伸ばしていきたいと考え足を踏み入れたのだが、なんだかんだ自分を見つめ直すことになっている不思議な1年間だ。

11月頭はある塾内のゼミの合宿@福井県に誘ってもらい、地域に入って仕事をつくり続けているゼミメンバーとメンターとに揉まれてきた。

昔から捨てられずにいるローカルの視点。

その地域にしかないセッティングを育てながら伸ばし、新しいものをつくる。

芽を出すのには時間がかかるところへ、1人ではなく、誰かと、時にジャズセッションのように即興性をもって関わり、まだ存在しなかった種を撒いていく。

医師になろうとする僕は、なぜこれほど地域に惹かれるのだろうか。

 

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高校時代に出会った「国家救援医 私は破綻国家の医師になった」(角川書店)の國井修先生には影響を受けた。

「国家救援医」というワードに心ときめき、購入したことを覚えている。

主体的に購入した医療関係の本はあれが初めてだったと記憶している。

医師は国を救うことができると、その仕事のイメージを大きく変えてくれた書籍だった。

元々広い範囲のものを考えるのが好きだったのかもしれない。

 

さらに地域に関心を持ったのは、浪人時代に出会った「信州に上医あり-若月俊一と佐久病院」(南木佳士)に描かれる若月俊一氏の姿勢に憧れてのことだろう。

「上医は国を診る」

かつての中国における医師の分類の中で、下医は病気を、中医は患者を、そして上医は国や地域を相手に治療や癒しを施すとされた。

まさしく「国家救援医」とは上医だったのだと高校時代の記憶がつながった衝撃を覚えている。

若月先生やその周囲の医療者は、我慢したり病識がないなど隠された理由を背景に病院を訪れない農民のもとへ、農村へと自ら乗り込んでいった。

その姿勢に、医療者はかくあるべきと思わされた。

病院という狭い世界の中で困りごとを解決するだけでは、国や地域は健康にならない。

そこには医療者側の努力が必要となる。

 

「医者になるのに違うこともやっているんだね」とお声がけいただくことは多い。

それは医師という仕事が病院という枠に囲われ閉ざされている実存とそれに市民も医療者も少しずつあぐらをかいた結果できあがった一般認識とがつくり出した現在の「当たり前」でしかない。

本質は「上医」のあり方の中にこそあるはずだ。

 

「医療の解放」は人生の大きなテーマだ。

医療者が病院から解放されて、医療の枠の外で力を発揮していく時代が来る。

病院が必要とされなくなる時は、医療者が必要でなくなる時ではない。

医療者が新しい働き方を見つけ出す時だ。

だから「現代の食医」とうたって、その在り方を1つつくっていくのが僕の番として回ってきたバトンなんだと受け止めている。

 

「地域に出るのに必要なのは肝臓だ」というが、半分以上冗談でないところは地域で活躍する人たちを見て、自ら動いてみて、強く実感する。

その肝臓を守るように働きかけられるのは、医療者であればこそと思う。

一見病院という容れ物に分断されがちな、地域と医療者。

実はその間を肝臓がつないでいる、なんていかがだろうか。

医療者側が地域に出て活躍する未来は、自ずとやってくる。

この流れに一緒に飛び込む勇気はあるか。

 

Buona giornata.

 

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【0/3日目】「幸せになるため」医師の先輩からいただいたもの

Buongiorno.

岐阜県にて在宅医療を展開されている医療法人かがやきさんの「総合在宅医療クリニック」と「かがやきキャンプ」を見学させていただいた3日間のシリーズ。

 


 


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今回はそのプロローグ。

かがやきのHPはこちらから

医療法人かがやき|岐阜県岐南町の総合在宅医療クリニック

 

 

参加している創業支援プログラムのゼミメンターにいただいたご縁。

医師として生きつつ事業をつくることについてうだうだ言い続ける僕に対して、愛に溢れた叱咤激励としてのご紹介だと捉えている。

 

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3日間の見学を前日入りの0日目から振り返る。

贅沢にも代表の市橋亮一先生と2人でお話しさせていただいた夜。

市橋先生の学生時代の経験や大切にされているクリニックづくりの理念、医療の捉え方、人生観など聞かせていただいた。

ひとことでいえば、先生の言葉には確かな力があった。

概念を言葉で形成することが訓練されていて、48年間の厚みから生まれた言葉には説得力というか、人を頷かせる力があった。

様々なお話しの中でも僕の人生のスイッチを入れるきっかけとなった話題を0日目の成果として振り返り、3日間の前日談としたい。

 

・人生にはタイムリミットがある

パートナーや子どもができれば、生活を守っていくために最低限必要となるお金のラインが決まってくる。

これを満たしながら自由に生きることは簡単なことでは無い。

子どもができれば動きづらくなる部分は事実としてある。

イムリミットがあることを意識して20代を過ごす必要がある。

僕は今、医師国家試験に受かり来年から最低2年間の医師としての修行期間に入る道中にいる。

クリアすべき試験は確かに目の前にあって、しくじれば1年間、医師としての人生を進めることはできなくなる。

イムリミットに対して1年間をみすみす譲渡するのは当然本意でない。

一方で、タイムリミットを乗り越えるもしくは潜り抜ける、あるいはリミットを先送りにし続けるような、一般論と違う僕だけの人生というものを見つけてみたいとも思う。

未だ残していけるものを持ち合わせていない僕自身への無力感が募った。

人生にタイムリミットは確かにあるらしい。

これまで逃げずにリミットを直視する勇気がなかったことを突きつけられた。

医学生という肩書きに甘えているに過ぎないんだ。

 

アメリカとインド

市橋先生が学生時代に通ったアメリカと、印象に残ったインド。

僕がコロナで腸内細菌研究に行きそびれたアメリカと、僕が個人的に気になっているアーティスト横尾忠則が、僕が個人的に気になっている作家三島由紀夫に「行ってこい」と言われたインド。

インドというのは三島いわく呼ばれる時がくるものらしい。

人生のパラダイムシフトを起こす出会いに飢えている。

そんな僕はアメリカとインドに惹かれているらしい。

特にインドだ。

最近インドに意識が向きがちだから、こうしてまた書いてしまう。

インドに呼ばれているのだろうか。

そもそも今回のクリニック訪問のように「他力本願」なところは今に始まったことでないから、もはや諦めるしかないか。

実力がないことすら今の僕の個性だと思いたい。

「悔しい」がこぼれ落ちた。

 

・地域づくりをしているわけではない

総合在宅医療クリニックを岐南町で12年間。

ずっと地域で医療の文脈から生活者と関わり続けてきた先生は、「地域づくりをしているわけではない」という。

先生がつくっているのはチームであり、環境だ。

在宅医療を提供するチームのメンバーが、その人らしく力を存分に発揮できる環境をつくること。

これによって結果的にチームが強力に機能する。

強力なチームは質の高い医療を提供できる。

高い水準の在宅医療は、地域で人が生き、死ぬことを強力に支える。

人が最後までいのちを全うできる地域は、人的資本が豊富で、関係人口が多い場所だ。

その地域が元気になることは言うまでもない。

その地域に開かれたクリニックという環境は、人的資本をさらに大きくする装置として機能している。

 

チームメンバー1人1人がかがやくことで、トータルとして高い水準の在宅医療が提供される。

驚くべき離職率の低さが、理念が実現されていること、強力なチームが達成されてなお伸び続けていることを物語っている。
このチームづくりのマインドは、市橋先生の学生時代のラグビー経験やサークル活動の経験にあるのだろう。

時間がもたらす厚みがクリニック運営と環境とに反映されていることをひしひしと感じ、また「悔しい」がこぼれおちた。

 

・幸せになるためにやっている

医療とは何なのかという問いは常に医療者にまとわりつく。

僕は医療とは人の認識の総意で「今はこれを医療と呼びましょう」とみんなで定めた相対的なものだと考えている。

市橋先生も同様らしい。

医療という枠組みはもはや通り越した先で考えられているようだった。

「働くために生きているわけではなく、幸せになるために生きている」

これを医療法人という形で、在宅医療という形で表現されている。

この話をした建物がこの世界観から生まれたものであることに絶対的な説得力と、また「悔しい」という思いがこぼれ落ちた。

 

。。。

 

ずいぶんフラフラと実力なく生きてきたと思うこの頃。

医師の先輩がつくり続けている「概念の実現」を突きつけられ、大きく心が揺さぶられた。

足りないものだらけだ。

先生のこれまでを知り、

・徹底的にやること

・「勝ち」にこだわること

これらから逃げてきたのだと、自覚せざるを得なかった0日目。

「悔しい」という想いは3日目までこぼれ続けることになる。

その序章となる一夜であった。

 

奥様のつくった美味しいスイートポテトと、それを温めてくれたイタリア製薪ストーブの温もりにも、「悔しい」がこぼれ落ちて、面倒な自分という生き物に直視する時間が再び始まったことを歓迎した0日目。

1日目の訪問診療へと続く。

Buona giornata.

 

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「これしかない」と信じ、僕は血を流し、何かを守った

Buonasera.

新刊の本屋さんが近所にオープンした。

大変お世話になっていること、口べたな僕は行動で伝えられたらなと、開店に合わせてお邪魔してきた。

本に囲まれて過ごす時間で「就職活動失敗」という事故に対する気づきがいくつも生まれ出た。

 

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「『これしかない』となっている時が1番危険だと思う。」

自ら述べてきたことだ。

世の中には無限の選択肢があって、本来的には誰もが自由に選び取ることができる。

その中で僕はある1つの選択をした。

その選び方が、まさに「これしかない」だった。

 

「これでもいい」があったはずだろう、という話ではない。

妥協はそれこそ必要のないもので、不本意な選択を自ら掴むほど人生はヒマじゃない。

僕は足を運び、体験した。

空気を、人を、環境を経験し「これでもいい」「これではない」を除外していった。

その作業にかけた莫大な時間の積み重ねによる、妥協の無い選択をした。

 

しかしここに実は妥協が入り込んでいた。

就職先候補がたくさんある中で、「これしかない」その1つだけを選択し、希望を出した。

全てを除外しきったとき、「これしかない」以外の選択肢は僕の中に、もはや存在しなかった。

それ以上を見つける努力をしなかったからだ。

探し歩くことを妥協無く積み重ねれば「これしかない」というあの時の精神状態を回避できたし、今ごろこうなっていなかっただろう。

 

「これしかない」と信じたのは、決意の弱さからだ。

人生に対する決意が揺らいだ。

その人生の隙に、必要でない「妥協」が入り込んだ。

そして僕は血を流す結果になった。

正直、ものすごく痛い。

妄想と妥協に囚われていた自分の甘えが結果になって表れたことが、とてつもなく痛い。

僕は確かに人生に妥協していたんだ。

 

事故の中で見つけられたものがある。

血が流れ、失血死した人生。

あのまま選ばれてしまえば気づかなかった「これしかない」という囚われと、探し歩き選択し続ける人生を避ける「妥協」。

死んだそれらの血の池の底に、確かに残ったもの。

痛みのおかげで守ることができたものがある。

この人生だ。

いまだ傷跡は深い。

しかし、誤った方向へ進み始めていた人生に再び目を向けるには必要な傷だった。

結果論でしかないが、「これしかない」という状態から、何かを守った。

人生のもつ無限の可能性、最後まで捨ててはいけないプライド、妥協しない心。

「これしかない」に乗って事故を起こし、今もう一度人生に向き合っている。

 

危うく哲学を失った人生を歩むところだった。

僕の言う哲学とは「〇〇が言うには」という類のものではない。

その説明を必要とするのは知識人だけだ。

広く遠くへ届く声とは、ただ真っ直ぐ人の心に届けられる透き通った声だ。

そんな遠くへ真っ直ぐに届く人生の哲学を守ることができた。

流した血と、死んでいった人生に感謝している。

 

改めて書くが「これしかない」という状態は人生において非常に危険な状態だ。

もうすぐ大きな事故が起きる可能性がある。

この人生に対する警告に、引っかかりを感じる人は大丈夫だ。

もう事故が起きるところまで来ているかもしれないが、大丈夫。

事故の後に再び立ち上がる力のある人だからだ。

 

何も感じない人の多くは、何も感じないフリをしている。

「これしかない」にしがみついて動けなくなっている。

そこまでいってしまえば事故は起きない。

でもそれは、あなたの人生から離れていく選択になっていることを知っていてほしい。

 

今回の事故で失ったものはたくさんある。

それらはそうされるべきだった。

失っていいものだけが、手放すべき人生とともに死んだ。

残されたものを見つめよう。

手元に残った捨ててはいけないもので、もう一度組み立て直すチャンスがやってきたんだ。

手放したあとの空間には新しい創造が生まれる。

もう次が芽吹いている。

この芽を妥協無く育てていくことが、今この人生のチャンスなんだ。

 

La vita è bella.

Buona serata.

 

「手に入れたい未来」は概念でしかないから

Buonasera.

 

就職先が決定する日。

僕の就職先は決まらなかった。

半年以上描き続けていた「理想の未来」は、あっけなく吹き飛んでしまった。

想像のもの、形になっていないものなんて、その程度だ。

こんな冷静に考えれば分かることでも、夢中になっていれば気づくことが難しい。

雲散霧消して始めてそこに「何もない」という事実だけが残ったことを知る。

 

失ったわけじゃない。

はじめから無かったんだ。

頭の中にあったなんて嘆いてみせても変えられない事実。

世界には80億人それぞれが考えた優れたアイデアや未来があって、

形にならないまま頭の中や、せいぜい紙の上を漂っている。

実現して世の中に見せない限り、全て概念でしかない。

風がひと吹きすれば一瞬で飛んでしまう。

 

長い時間かけて描いたものも、消え去るのは一瞬だ。

頭の中を占めていたスペースには空き地だけが広がっている。

もう消えたんだ。

妄想していた概念上の未来はもうどこにもない。

 

今ここに経験することだけが未来の実体。

誰に何と言われようとつくろうという努力を怠るなら、妄想の「未来」は訪れない。

結局やるか、やらないか。

未来をつくる側なのか、享受する側なのか。

概念を描くことは二度としないと誓った。

 

Buon Sabato.

「遊び」の中に旅をみつけ、旅の中に「遊び」を再発見する

Buongiorno.

「遊び」について改めて考える機会があった。

周囲から学ぶ大人の「遊び」は、

飲み歩くことやアウトドアに出かけるなど、

仕事の時間以外の行為を指しているかのように感じていた。

バレルサウナという日常の中に表れた非日常の時間がきっかけになった。

「遊び」とは真に何を指すか。

私にとっての「遊び」である旅とは何か。

それらの本質は、「新しい」を見出すことではないだろうか。

 

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珍しく「欲しいもの」ができた

 

これまでの「遊び」の経験をふり返ってみると、

私の場合は旅こそが遊びの時間になっていた。

その日その日を特に事前準備もせず進んでいくのがスタイル。

だからいつも、何が起きるかは分からない。

瞬間がいつも「新しい」。

誰かと会う予定は先に決まっていることがほとんどで、

それまでをどう過ごすかはその時次第で、即興(セッション)性がある。

セッションの連続に夢中になって、

いつも寄り道しすぎて電車の時間がギリギリになり、

見知らぬホームを走り回りがちだったりする。

 

イタリア料理留学時代は各地を1人で回り、

思い出の出会いもあれば、九死に一生を得たことさえあった。

新型コロナウイルスが世界で感染拡大を始めた頃はスペインで旅をしていた。

毎日スマートフォンで世界のコロナ事情を調べて、突然やってくるであろう緊急帰国の瞬間を判断し続けた。

スペインを北から南へ移動しコロナから逃げながらその日を楽しむ。

あの時は本当に楽しかった。

「新しい」に溢れた旅の中で、

コロナによる世界の毎日の「新しい」を感じ続けた。

あの頃をふり返るとき「地球で遊んでいた」という言葉が自然と湧き出てくる。

 

昨日過ごした初めてのバレルサウナの時間。

初めてのメンバーで一緒に入る。

「新しい」経験に胸が躍った。

そのとき、自己の意識次第で何もかもが「遊び」の中に包含されていくことを知った。

初めての場所に行くこと、分からないことをするのは「新しい」の連続だ。

「旅」即ち「新しい」。

「新しい」即ち「遊び」。

「新しい」によって、旅と遊びはゆるくつながっている。

「遊び」は旅であり、旅の中に「遊び」が見出される。

 

「遊び」に立ち返って考えると、行為そのものは問題ではないことが分かる。

その時その時のセッティングが自分にとって「新しい」と感じられるものであるかどうか。

今日入るサウナで考えることは、以前とは異なる。新しい。

登る山は一緒でも、メンバーが違う。新しい。

その時訪れるまったく新しい瞬間を「新しい」と喜べること。

 

One’s destination is never a place, but a new way of seeing things. ーby Henry Miller

目的地というのは決して場所ではなく、物事を新たな視点で見る方法である。 (アメリカ人小説家 ヘンリー・ミラー

 

この言葉は旅の醍醐味とも考えられがちな「移動」そのものが問題なのではないことを教えてくれている。

日常は新しさ、即ち遊びと旅に溢れているのに、

残念ながら人はそれを意識することができない。

意識できないという事実を意識をすることから、

新たな視点を手に入れる第一歩を踏み出せるのだろう。

 

Buona giornata.