現代の食医 食べて飲んで生きる毎日

長野県で料理人/医者をしています。フィレンツェで料理人してました。

人生に訪れる「決断の日」

Buongiorno.

今日も「Buongiorno.(=良い日だね。)」で1日が始まる。

この恵まれた安全な世界。

昔より多くの人が退屈するようになった。

何もしなくても生きていける世界で、毎日が今日も明日も続いていくような錯覚に陥る。

今日何をする、どんな仕事をする、何で稼ぐ、誰と生活する、どこで生涯を終える。

どの問いにも、たくさんのすでに整列された答えの中から1つを選ぶことで一歩進んだ気になれる。

 

選ぶこと(choise)と、決断すること(decision)は違う。

選ぶことは、目の前の服の中からどれがいいか試着し続けることだ。

着ては脱ぎ、次を着ては脱ぎ、いつでもまた別のものに変えられる。

一方で決断することは、一着を見つけ出し、それを一生涯着続けると覚悟することだ。

ティーブ・ジョブズをはじめとした“成功者”の一部に、いつも同じ服を着ているという共通点がある。

日々決断を求められる立場であり、「意志決定による疲れ(Decision Fatigue)」を回避するために着る服に使う「決断」をなくすことが役立っていたという。

彼らは一度「同じ服を着る」という決断をしたから、その後の人生で積み重なる決断の質を、より良いものにしていったのだろう。

 

ほとんどの人生が、見えない「流行」の力に押し流されていく。

この恵まれた安全な世界で、あなたはどの道に進みたいだろう。

いずれ、決断を迫られる日がくる。

「流行にのせられる」か、はたまた「自分の道」を選ぶか。

その日は今日かもしれないし、明日かもしれない。

昨日も一昨日もその日だったのかもしれない。

決断の日を、その瞬間を、「忙しい」「疲れた」「できない」といういつか口癖になった流行のワードに押されて、のせられていないだろうか。

 

決断を欠いた人生は、自分の目にさえ、ぼやけて見える。

今日違和感を抱えているあなたがかけている、そのメガネの焦点は合っているだろうか。

あなたにこの文章は、ぼやけて映るだろうか。

人生がぼやけていることを、他人のせいにしていなかっただろうか。

 

僕も決めなきゃいけない。

 

「軽トラは店で買わず、ご縁で継承する」

「週5病院勤務は2年で終わり」

「この土地で生きていく」

「人間の根本を平和で健康に」

 

Buona giornata.