現代の食医 食べて飲んで生きる毎日

長野県で料理人/医者をしています。フィレンツェで料理人してました。

一様化の呪力をはなつ“北海道”

Buonasera.
気が緩んでくるのが7日目。

1ヶ月間ブログチャレンジ続きます。

今日は外側に出ることの難しさについて。

 

北海道は住みやすい。

冬の寒さは厳しく、最近の夏の暑さとなぜかやって来るようになった台風と梅雨は完全に想定外で、一見住みづらいようにも思えるが大したことではない。

北海道の人たちは温かい。

土地の広さは道路の広さ、見通しの良さ、パーソナルスペースの広さに反映されている。

北海道の家は広くて安い。

空間的な窮屈さを感じないことが、精神的な解放感につながっているのではなかろうか。

 

北海道の怖いところがまさにこの精神的な解放感にある気がしてならない。

北海道に暮らして7年目。

これまで休みになれば札幌はおろか北海道を飛び出て、全国各地の友人に会って回った。

そんなことをしていると外に出るハードルはどんどん下がって、むしろ休みとは北海道を出るためにあると考えるようになっていった。

7年目を迎えて周囲を見渡してみる。

私のような動き方をしてきた学生はそれほど多くない。

北海道は一つの島として十二分に大きく、全てがここだけで成り立っているような感覚になる。

あまりに居心地がいい。

外に出ていこうという気が失われていく。

磁力というか呪力のようなものを感じる。

 

外からやってきた多種多様な学生たち。

彼らがこの場所で、北海道だけで成り立っている感覚の中で過ごすことで、だんだんと北海道に順応していく。

考える物事のスケールが北海道スケールになる。

面積だけでいえば間違いなく大きい範囲だ。

しかしその多様性はどうか。

その重層性は。

いつの間にか北海道スケールという枠の中でしか物事を考えられなくなる。

思考はすなわち行動につながる。

ますます北海道の域を超えた動きができなくなる。

行動はすなわち思考にフィードバックされる。

これが繰り返されて、多様なバックグラウンドをもつ北海道大学の学生が一様化していく。

たったの7年で何を語ると言われるのも結構。

ただここは、今の私にとって少し窮屈だ。

Buona serata.