現代の食医 食べて飲んで生きる毎日

長野県で料理人/医者をしています。フィレンツェで料理人してました。

ニュータイプになりたい。相対化について

再びsul traghetto

海路で小樽に向かってます、くわっちです。

日本探しの旅ももう終わります。

 

たくさんの人と話した10日間。

ライダーおかんから始まり、東京から出張ついでに豊島と直島をまわるお姉さん、スイス人夫婦、ゲストハウスゲームドクター大さん、愛媛大のIFMSA仲間、兵庫からの気のいい大学生2人組、なんちゃって漁師オーナー、札幌出身ゲストハウスお姉さんに大阪からのフレッシュマン2人、イケてるライダーおじさま、日本大好き中国40歳、気遣い上手な台湾お姉さん、徳島IFMSA仲間、花野さん一家、隣の子どもたち、優しすぎる岡島さん、タイ料理店オーナー、ファミリー団体etc

 

お互いのコンディションと限られた時間では決して完全に心を開ききって話せたわけではないけれど、

いろんな人と話すことができて、

じわじわと「日本」の輪郭をつくるきっかけを得た気がします。

 

探し回って動きまくったけど、

ある場所に行けば日本がある、

なんて話ではないようです。

人。

人同士の結びつき。

仕事があり食があり建物がある。

そこに作法があり生活があり文化がある。

複雑に影響しあって「日本」「日本人」を形づくっている。

 

僕が生まれも育ちも日本だからこそ見えているものもあるし、

逆にそのせいで見えていないものもあるはず。

自らの生い立ちの中で育まれた「故郷像」があって、

そのメガネを通してでしか日本を見ることも日本人を解釈することもできていない。

「ことばの限界」って話もあったけど、

ちょっと飛躍になるけど母語が日本語であることが、ある種の足かせになってもいるはず。

僕の目でみる「日本」には限界がある。

 

 

それでいい。

だからこそ、僕はイタリアに住む。

 

 

相対化が必要なんだ。

自分の視点や思考が狭い狭い世界の全てになってしまう前に、一度自らを解体するための激しい負荷をかける必要がある。

強いストレスをかけて初めて、見えてくる世界があるはず。

決して快適ではない時間を歩いた先に大きな仕事が待っていると、漠然とした予感がします。

(必ずしも留学である必要はないと思うけど、

留学でしかできない相対化もあるはずです)

 

感動を覚えた瞬間は、子どもが与えてくれた。

子どもたちの自由さを許容する環境。

その中で彼らが自由に動き回る。

目に見えない形でサポートする手のおかげで

次の「日本人」が生まれていく。

順番がもうすぐ回ってくる。

 

あと、今回の教訓。

「大切なものは目に見えない」っていうけど、

大人ってのは

「いろんなものを見過ぎて、大切なものが目に見えなくなってしまう」

生き物なんだろうな。

24歳ってめっちゃ大人。

だれかに叱られたわけじゃないけど、

なんだか反省が多かった旅でした。

 

誤解なく分かり合うためには

お互いの準備が必要で、

まだまだ僕には準備が足りてない。

ジメジメした旅日記になりましたが、

ぜひ自由にコメントでご意見・ご感想ください♪

Ciao!