現代の食医 食べて飲んで生きる毎日

長野県で料理人/医者をしています。フィレンツェで料理人してました。

いま生き方を考え直す

Buonasera.

本日12月4日、

NGO団体「ペシャワール会」の現地代表である医師、

中村哲先生の訃報を知りました。

分かりやすく書けば「井戸を掘る」という形で「医療」を実践された方です。

NHK NEWS WEBのURLを添付します。

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20191205/k10012202561000.html

今でこそいろんなことを自由にさせていただいている僕の学生生活ですが、

初めての「学生活動」は北海道大学医学部の学生団体が主催し札幌で行った、

中村哲先生の講演会のスタッフでした。

大学1年の6月だったでしょうか。

講演会の最中は無我夢中で運営を手伝っていました。

その後の懇親会で先生が各テーブルを周り、

僕も同じテーブルでお話しできる時間がありました。

正直、疲れと緊張と遠い記憶からか何を話したのか思い出せません。

何か質問をさせていただいた気もしますが、それすら定かではありません。

ただ先生の言葉や表情や仕草から「本物だ」と思わされたことは良く覚えています。

今でもその記憶をたどると、

なかなかあのような方とお話した経験は後にも先にもないように感じます。

人間性の深みと力強さをもった穏やかな方でした。

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さて、今日の昼営業ですが、

ほとんど歯が立ちませんでした。

 

 

 

という文章を書こうとしていたのですが、

今大きく内容を変えて綴っています。

今日1日中、中村哲先生の知らせが頭から離れません。

今もなお自分の中で考え続けています。

「自分はどんな人生を送り誰のためになりたいのか」

今日、先生が亡くなられたという知らせを目にしたFacebook

それからずっと僕のタイムラインは、

この知らせに対する医療系学生や国際協力に携わる・携わってきた医療職の方々の投稿で溢れています。

 

これは、いかに先生が意味のある事を為されてきたのかという証明です。

医療に関わりのない方の中には

中村哲医師」

というワードを初めて知ったという方も少なくないに違いありません。

国際協力に興味があってIFMSA-Japan(国際医学生連盟)という団体に所属した僕ですから、

周りに同じ関心をもつ医療職・医療系学生が多い環境も僕のタイムラインも、

狭い世界であり特殊ではあると思います。

 

それでも。

こんなにも多くの人に影響を与えているということ。

いつもテレビに出ているとか、よく名前が挙がる有名人とかではなく。

本当に、本当に世に対し意味のあることを為してきた人とはこのような方なのだと胸が熱くなります。

 

冒頭に書いたとおり、

僕は先生とほんの短い時間ですが直接お話しすることができた人間の1人です。

そして今なお医療者を志し、日本を飛び出し海外に身を置き学んでいます。

それは将来できることを増やしたいから。

自分らしく世のため人のためになる新しい価値をつくっていきたいから。

結果的にイタリアで料理留学をしているわけです。

 

いつからか、

「医師は病院で働く人間」

という枠は僕の中になくなっていました。

憧れて「カッコイイ職業」として目指した医師。

様々な医師の在り方を本や映像を通して学んできたわけで、

僕に影響を与えた文字の向こう側、画面の向こう側の先生方は、

たしかに病院内に留まっている方々ではありませんでした。

憧れの医師を目指し歩き始めた頃に

直接お話することができた中村哲先生の在り方は、

僕を世の通念的な医師の在り方から開放してくれていたのかもしれません。

 

 

話を戻します。

「自分はどんな人生を送り誰のためになりたいのか」

 

「留学の期間は悩むのが当たり前」ですし、

「適応するのに大変」です。

その苦労を実際に経験した方々もたくさんいらっしゃるはず。

僕もこれまでの2ヶ月の中で苦労はあったし、

今はレストランでインターンシップが始まり2週間目で、

「ああ、今日の営業は大変だったな」とか思って1日を終える日々でした。

 

「ああ、いま自分って大変だな」

 

という自分が自分にかけていた優しい労りに対して、

何か漠然とした憤りを感じています。

その大変さを隠れ蓑にして本当に大切なことを見失っていた自分の未熟さに対してとでもいうのでしょうか…。

 

実際に留学生活が大変だというのは客観的に考えて事実だと思います。

無茶をして限界を超えて活動したって、

きっと先に待っているものは大した成果では無い。

「『もっともっと』と動け」とかそういう方向性で話したいのではなくって。

 

「自分がこの人生で真に何を為したいのか。だから何故いま此処にいるのか。」

という根源的な問いが必要なんだろうという話です。

結果的にここまで書いてきて、

これは自分に対する反省文であり、

中村先生に対する畏敬の念を示すための文章でした。

 

今、この人生でやりたいことは確かにあります。

自分では

「何か大きな事を為したいから」

とはまったくベクトルが違うと思っています。

でもきっと僕もふとすれば見失ってしまうことで、

気づかないうちに大きく道を逸れてしまうかもしれない。

危うい場所にほんの半日前まではいた気もします。

この中村先生の訃報は悲しい知らせであることは間違いありません。

しかしそれ以上に、

僕という1人の人間が生きる意味を考え直すきっかけとなっています。

中村先生を知るたくさんの方々にとってもそうなっていることと思います。

 

2018年にノーベル平和賞を受賞されたムクウェゲ医師や、

尊敬するパッチ・アダムス、鎌田實先生、國井修先生などなど。

パッと思いつく先生方を挙げてみました。

医師という職業への強い憧れと、

憧れを現実のものとした先に描きたい漠然とした未来とを

深く見つめ直す機会をいただく大切な日になりました。

 

改めて、

中村哲先生のご冥福をお祈りいたします。

しっかり休養を取り力を蓄えて、

明日からまた一歩を踏み出していくことを誓います。

Buona notte.