現代の食医 食べて飲んで生きる毎日

長野県で料理人/医者をしています。フィレンツェで料理人してました。

ローカルという名の舞台で

Buonasera.

書き出す、そして気づく。

誤解を恐れず今日も書く。

 

ローカルの文脈で物事を動かそうとすると、地続きで直接関わりのないはずのステークホルダーの存在に触れることになる。

その存在を知ることで次の動きにつなげられる。

一方で、知ってしまったことで次に動きづらくなる。

ローカルの苦しくも愛おしい場面だと思いたい。

 

既得権益、プライド、立場という歴史を背景とした人の意思の巣窟に、新参者はボロボロになることもあるだろう。

重要なのは、意思決定権を最後まで他者に渡さないでいられるかどうかだ。

 

私(あなた)が始めた。

内側・外側で多くの人の力を借りて進められている。

だからといって、他人に決定権を渡す理由はどこにもない。

DoかDo notか、はたまたその淡いか(淡いの積み重ねがDoとDo notになるのだろう)。

その判断をとことん積み上げて磨き上げて決断を下し実行する。

そこに全責任を負うのは私(あなた)だ。

アドバイザーでも、サポーターでも、ひな壇でもなく私(あなた)だ。

野次が飛ぶ、物が飛ぶ、血が噴き出る。

首さえ飛ばなければゲームは終わらない。

舞台に立ったものにしか見えていない景色がある。

 

観客の役目は最大限の煽りを飛ばすこと。

舞台に上がってこない彼らは、首が飛び血が噴き出る可能性に飛び込めない。

その声を聞き入れる必要はどこにある。

 

舞台袖で見守る人は、ぜひ演者の首が飛ぶ瞬間を間近で見守ってもらいたい。

首が飛ぶか飛ばないか、ワクワクしていただいて結構。

首が飛ばないための最大限の飛ばないサポートを一つお願いしたいところ。

特等席をご用意しよう。

 

演者が核になり、その周りに塵が集まって、結晶になる。

透明さだけが美しさではない。

鮮血が滴る結晶に美しさを感じないか?

核になる人間に必要な資質を身につけるんだ。

舞台に登る勇気と、舞台を降りない勇気と、血が噴き出て首が飛ぶ可能性を楽しむ狂気。

 

「その資質は先天的なものだ」という観客の声援が聞こえる。

残念ながら、例に違わずあなたも生まれ持っている資質だ。

気づける位置、発揮できる位置に自分を置くことが、誰もが最初に始められる努力だと信じている。

一緒に舞台に上がりませんか?

Buona serata.