Buongiorno.
日本一の霊峰、富士山。
誰もが一度は憧れる山に人生初の登頂を果たした。
雲より高いところから、地球を見下ろす。
さっきまで見えていた満点の星たちが、等級の小さいものから順に姿を消していく。
水平線から橙色の光線が伸びてきて、光線の核である火の玉が現れる。
夜から朝へ、昨日から今日へ、バトンタッチが行われる。
人々が息を呑む。
心を震わせる。
この太陽は特別か。
山で見る太陽と地上で見る太陽に違いを求めるのは人間だけだ。
今日も太陽があがり、また沈んでいく。
事実だけがそこにある。
夜から朝、昨日から明日という意味付けも人間が決めたものだ。
動物は昨日や明日を感じて1日や1年を感じて生きているだろうか。
元々は自分や周りの人間を守るために、
「昼間は行動する」
「夜はここに近づいてはいけない」
という知恵を共有するために概念化したのだろう。
この概念化こそが人間らしさなわけである。
作物を育てられるようになったのも、
「植えてから〇日で収穫できる」
という日にちの概念化による情報の共有の功績だ。
現代では1日、1ヶ月、1年を刻むことで生きる私たちが、その概念によって心を病んでいく。
予定まであと〇時間。
〆切まであと〇日。
資源が尽きるまであと〇ヶ月。
生き残るために生まれた概念が私たちを苦しめ、死を近づける。
人生100年時代と言われ始めて久しい。
謳っているのは誰だろう。
みんなが100歳という数字に向かって前ならえしていく。
個人も、企業も、政治も、社会も。
目指す100という数字にどんな意味があるのだろう。
実は2012年には「人生90年時代」という標語が存在した。
生きられる期間が延びて、90が100に変わった。
人間は約10年たって、90が100になって、より幸せになれただろうか。
今日の朝も、5時22分に富士山で日の出があがった。
私はシェアハウスのベッドで、太陽が昇りきったころに目を覚ました。
今日も太陽があがり、また沈んでいく。
繰り返す過ちのそのたび人は
ただ青い空の青さを知る
(覚和歌子「いつも何度でも」)
今日もあなたの世界に何かが起きる。
意味を見出すこともできる。
見出さないでおくこともできる。
しなやかさこそが人間の特権だ。
Buona giornata.